フォーミュラ・イースター
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マシンは「TOARZ」や「TARK」といったコンストラクターによって開発された量産シャシーと、自家製シャシーが混在した。
エンジンの排気量は1300cc以下で、ラーダ・21011の直列4気筒エンジンのシリンダーブロックが使用されることが多かった。ノーマルで70馬力程度を発生させるこのエンジンは、チューニングによって90馬力から110馬力程度までパワーアップされた。
フォーミュラ・イースターではキャブレター、ピストン、カムシャフトのチューニングは禁止されていた。経済的に裕福なチームや自動車メーカーにコネクションを持つチームでは、これらのパーツに西側諸国への輸出仕様のものを使用することで高い性能を発揮させた。いくつかのチームはダチア・1300やポルスキ・フィアット・125p、シュコダ・105、ヴァルトブルク・353のエンジンを使用したが、そういったチームは愛国心に反するとして少数派にとどまった。
ギヤボックスはZAZ・ザポロージェツ・ZAZ-968の4速ギヤボックスや、タブリアの5速ギヤボックスをベースとしたものが使用された。ZAZ-968の4速ギヤボックスの場合、マグネシウム製のハウジングがギヤ交換が容易になるように改造され、これによって変速段の少なさをカバーするチューニングが流行した。
自家製マシンの場合、サスペンションは東ドイツのバルカス製ミニバンのストラットがよく流用された。多くのチームは自家製のダンパーオイルを使用することで性能を向上させていた。ドライブシャフトはUAZ製ジープのものが広く使われた。ブレーキはアフターマーケットで流通していたラーダのブレーキディスクの改造品に、ヴァルトブルク製の4ピストンキャリパーを組み合わせるのが一般的だった。ステアリング周りのパーツはコンパクトカーのものを改造して使用することが多く、トラバント製などが使用された。
シャシーは鋼管スペースフレームに合成樹脂やファイバーグラスを曲げて製作したボディを架装したものが主流だった。アルミモノコックの導入は1985年と非常に遅かったが、空力面ではなんとかF1に追随する努力がなされた。前後ウイングによるダウンフォース獲得が浸透し始めたあとはティレル・003に似たスポーツカーノーズが流行し、1981年のエストニア・21はロータス・78に倣いサイドウイングをもつウイングカーとして設計された。