フォーミュラ・イースター

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フォーミュラ・イースターFormula Easter)は、1970年代から1980年代にかけて共産圏で行われた、フォーミュラカーによるレースである。ドライバーは共産圏出身者、マシンは共産圏の国立企業によって開発されたものや、民間で開発されたものが使用された。名目上、グループ9(フォーミュラ・リブレ)としてFIAから承認されていたが、シリーズの運営には一切関与していなかった。

マシンは「TOARZ」や「TARK」といったコンストラクターによって開発された量産シャシーと、自家製シャシーが混在した。

エンジン排気量は1300cc以下で、ラーダ・21011の直列4気筒エンジンのシリンダーブロックが使用されることが多かった。ノーマルで70馬力程度を発生させるこのエンジンは、チューニングによって90馬力から110馬力程度までパワーアップされた。

フォーミュラ・イースターではキャブレターピストンカムシャフトのチューニングは禁止されていた。経済的に裕福なチームや自動車メーカーにコネクションを持つチームでは、これらのパーツに西側諸国への輸出仕様のものを使用することで高い性能を発揮させた。いくつかのチームはダチア・1300ポルスキ・フィアット・125pシュコダ・105ヴァルトブルク・353のエンジンを使用したが、そういったチームは愛国心に反するとして少数派にとどまった。

ギヤボックスZAZ・ザポロージェツ・ZAZ-968の4速ギヤボックスや、タブリアの5速ギヤボックスをベースとしたものが使用された。ZAZ-968の4速ギヤボックスの場合、マグネシウム製のハウジングがギヤ交換が容易になるように改造され、これによって変速段の少なさをカバーするチューニングが流行した。

自家製マシンの場合、サスペンション東ドイツバルカス製ミニバンのストラットがよく流用された。多くのチームは自家製のダンパーオイルを使用することで性能を向上させていた。ドライブシャフトUAZ製ジープのものが広く使われた。ブレーキアフターマーケットで流通していたラーダのブレーキディスクの改造品に、ヴァルトブルク製の4ピストンキャリパーを組み合わせるのが一般的だった。ステアリング周りのパーツはコンパクトカーのものを改造して使用することが多く、トラバント製などが使用された。

シャシーは鋼管スペースフレームに合成樹脂ファイバーグラスを曲げて製作したボディを架装したものが主流だった。アルミモノコックの導入は1985年と非常に遅かったが、空力面ではなんとかF1に追随する努力がなされた。前後ウイングによるダウンフォース獲得が浸透し始めたあとはティレル・003に似たスポーツカーノーズが流行し、1981年のエストニア・21はロータス・78に倣いサイドウイングをもつウイングカーとして設計された。

工業的支援と経済的背景

レース開催

脚注

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