フランソワ・フランクール
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パリ出身。父のジョゼフはバス・ヴァイオリン奏者で「王の24人のヴァイオリン奏者」の一員だった。15歳で王立音楽アカデミー(現在のパリ国立オペラ)にヴァイオリニストとして入り、ヨーロッパ各地を回った。パリに戻った後はコンセール・スピリチュエルで演奏した。1730年に「王の24人のヴァイオリン奏者」のメンバーに選ばれ、1739年にオペラの音楽教師となった。
1744年、生涯の友人ともなるフランソワ・ルベルとともに王立音楽アカデミーの音楽監督に任命された。1757年にその権限は拡大され、運営のすべての面を担当することとなった。大規模な財政赤字、規律の欠如、ブフォン論争と呼ばれるフランス・オペラ支持派とイタリア・オペラ支持派の対立への対処など問題は多岐にわたった。
ルイ15世はフランクールを1760年に王の音楽教師に任命し、1764年に貴族に列した。その後、1767年にフランクールとルベルは王立音楽アカデミーを解任されたものの、1772年に2人は総監督として復帰し、フランクールは死去する3年前までその職にあった。
