フラヴィアーノ・ラボー

From Wikipedia, the free encyclopedia

フラヴィアーノ・ラボー

フラヴィアーノ・ラボーFlaviano Labò, 1927年2月1日 - 1991年2月13日)は、1950年代から1980年代にかけて活躍したイタリア歌手テノール)。特にヴェルディオペラで優れた歌唱を聴かせた。

フラヴィアーノ・ラボーは1927年2月1日ピアチェンツァ県ボルゴノーヴォ・ヴァル・ティドーネに生まれる。青年期は鉄道員となったが、勤務中の歌声を聴いた乗客がスカラ座の指揮者、アントニーノ・ヴォットーに彼を推薦、同座からの奨学金でカルメン・メリスジーナ・チーニャ[1]エットーレ・カンポガリアーニといった往年の著名歌手の下で4年間の研鑽を積むことができたとの伝説がある。

オペラ歌手としてのデビューは1954年12月15日、地元ピアチェンツァのムニチパーレ劇場におけるプッチーニトスカ』カヴァラドッシ役であった。その後ベルガモマントヴァなど北イタリアの劇場中心に活動するが、ニューヨークメトロポリタン歌劇場(メト)に招かれ、1957年から1958年のシーズンのヴェルディ『運命の力』アルヴァーロ役を皮切りに、ヴェルディの諸役を中心に歌った。メトでは1968年-69年のシーズンまで合計61回の舞台に立っている。またメキシコシティブエノスアイレスなど中央アメリカ南アメリカの諸劇場でも成功を収めた。

ミラノ・スカラ座には1960年-61年のシーズンから参加、ここでも『運命の力』、『ドン・カルロ』題名役、『アイーダ』ラダメス役といったヴェルディの諸役を中心に40回歌った。中でも『ドン・カルロ』は彼の当たり役であり、スカラ座のメンバーによるスタジオ録音(ドイツ・グラモフォン1961年)が知られている。1970年代からはイタリアの諸劇場を本拠とした。この間、NHKの招聘によるNHKイタリア歌劇団の一員として、1971年9月の第6回および1973年9月の第7回で来日し、第6回ではロヴロ・フォン・マタチッチ指揮の『トゥーランドット[注釈 1]カラフ役、第7回ではオリヴィエーロ・デ・ファブリティース指揮の『トスカ』カヴァラドッシ役および『アイーダ』ラダメス役[注釈 2]で美声を聴かせた[2][3]

ラボーのスタイリッシュな歌唱はヴェルディの諸役において特に評価が高く、彼の生涯31役のレパートリー中、14がヴェルディのものであった。その他プッチーニ蝶々夫人』ピンカートン役、同『トゥーランドット』カラフ役、ドニゼッティランメルモールのルチア』エドガルド役なども好評であった。ただし、160センチ程度の短躯であったことから、長身美貌のライヴァル、フランコ・コレッリなどと比べて舞台上で見劣りしてしまうことが、彼にとっての不幸であった。1973年の第7回NHKイタリア歌劇団で演じた『トスカ』カヴァラドッシ役に出演した時のことに関する、イタリア歌劇団に関わった元NHKチーフディレクターの武石英夫は、ラボーの短躯について次のように回想する。

柄が小さいものですから、ソプラノよりも背が低くなってしまうので、苦労していました。この《トスカ》の時も、一生懸命、靴屋さんに頼んでかかとを高くしてもらいました。それでやっと、カバイヴァンスカの髪の毛を除いた高さになりました。(後略)武石英夫、[4]

また武石によれば、ラボーの第7回イタリア歌劇団への参加決定はカバイヴァンスカよりも早く、「ラボーのすばらしさというものは、また格別でしたね」とも回想している[5]

ラボーは1987年トリノでのヴェルディ『ナブッコ』イズマエーレ役を最後に第一線を退いた。その後もリサイタルなどでは健在を示していたようであるが、64歳の誕生日を迎えてから12日後の1991年2月13日に、ミラノ近郊のメレニャーノで交通事故により急逝した。

主なディスコグラフィ・フィルモグラフィ

スタジオ録音

ライヴ録音

フィルモグラフィ

  • プッチーニ『トスカ』:カバイヴァンスカ、ジャンピエロ・マストロメイ:デ・ファブリティース指揮:1973年9月24日NHKホール(第7回NHKイタリア歌劇団公演):キングレコード KIBM-1050(DVD、2008年)[31]

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI