フリチョフ・バッケル=グロンダール
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バッケル=グロンダールはクリスチャニア(現オスロ)に生まれた。父は指揮者、歌唱指導者のオラウス・アンドレアス・グロンダール、母はピアニストで作曲家のアガーテ・バッケル=グロンダールである。まず母から音楽の手ほどきを受け、18歳でコンサートデビューを飾った。ベルリン芸術大学に入学、エルンスト・ルドルフの薫陶を受ける。他にエルンスト・フォン・ドホナーニ、フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカからも個人的に指導を受けていた。
同郷の作曲家であり母の友人でもあったエドヴァルド・グリーグの『ピアノ協奏曲 イ短調』に関しては詳細な研究を行った。1905年からドイツと周辺諸国を巡る演奏旅行に赴き、1906年のアムステルダム、1907年のキールでは作曲者自身の指揮の下、この作品を演奏している。また、同作品の演奏に際してはヨハン・スヴェンセンとも共演している[1]。
1920年から1930年にかけてはイギリスに居を構えてユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで教鞭を執るとともに、コンサートを催してレパートリーであった自らの母やグリーグなどのノルウェーの作品を演奏した他[1]、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、ブラームスらの楽曲を取り上げた。
作曲家としてのバッケル=グロンダールはピアノ小品や歌曲集を作曲した。わずかながらグリーグの『抒情小曲集』の録音が遺されている。また、母の作品の録音も行っている。
1959年、73歳でオスロに没した。