フリュギア式兜
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特性
使用
フリュギア式兜はピリッポス2世の時代にマケドニア王国の騎兵隊が被っていたが、彼の息子であるアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)は、クセノポンが推奨したように、自身の騎兵隊に面の開いたボイオティアの兜を選んだと言われている[7]。ヴェルギナの墓にある王室の副葬品には、例外的に鉄製のフリュギア式兜が含まれていた[8]。これは、ピリッポス2世の騎兵隊がこの兜を被っていたことを証拠づけるものである[8]。フリュギア式兜は、アレクサンドロス石棺など、アレクサンドロス3世の軍隊の歩兵が描写される際に目立って用いられている[8]。
フリュギア式兜は、ギリシアの古典時代の終わりからヘレニズム時代にかけて、紀元前5世紀の初期のコリント式兜タイプに代わって顕著に着用された[9]。
