フリードリヒ・シュピーゲル
From Wikipedia, the free encyclopedia
シュピーゲルはバイエルン王国のキッツィンゲンに生まれ、1839年にエアランゲン大学に入学した。はじめ神学を学んだが、のちに東洋学に移って詩人でもあったフリードリヒ・リュッケルトについて学び、ペルシア語の詩とイランについて目を開かされた[1]。
その後ライプツィヒ大学、ボン大学に移った。ボンではクリスチャン・ラッセンにパーリ語を学び、『カンマワーチャー』の校訂と最初の5章のラテン語訳を1841年に発表した[2]。1842年にイェーナ大学を卒業し、コペンハーゲンのデンマーク王立図書館に蔵するラスムス・ラスクの収集したパーリ語写本を研究した[3]。
コペンハーゲンでシュピーゲルはキール大学の東洋学者であるユストゥス・オルスハウゼンと知りあい、オルスハウゼンの勧めによってアヴェスター語やパフラヴィー語の文献を研究するようになった。ロンドン、オックスフォード、パリで写本を収集した後、帰国してしばらくミュンヘンに住んだ。
1849年にエアランゲン大学の東洋学の員外教授(1852年に正教授)に就任した[4]。1891年に退官してミュンヘンに戻った(後任はヴィルヘルム・ガイガー)。