フルハン
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略歴
明万暦16年1588、父・扈喇虎フラフに従い、属部を率いて建州女直酋長ヌルハチに帰順した。帰順後のフルハンは、ヌルハチから賜姓を承けてギョロ氏を名告り、ヌルハチの養子[注 5]として養育された。[10]その後、一等大臣に任命され、ニョフル氏エイドゥ、ギョルチャ氏アンバ・フィヤング、ドンゴ氏ホホリ、グァルギャ氏フョンドンらとともに五大臣として後金アイシン・グルンの国家運営を担った。[9]
戦歴
フルハンは従軍のたびに斬込隊長を務め、ヌルハチの恩に報いた。万暦35年1607の烏碣岩の戦でシュムル氏ヤングリとともにウラの大軍を撃攘し、同年および同37年1609の東海女直渥集ウェジ部征討で武功をあげたことにより、「達爾漢侍衛ダルハン・ヒヤ」の称号を賜わった。[9]
続いて同39年1611にはドンゴ氏ホホリらとともに虎爾哈クルカ地方の扎庫塔ジャクタ城を征討し、同41年1613には烏拉城の戦でウラ国グルンを潰滅させ、後金天命元年には東海女直サハリャン部を叩き、諸部を招降した。[9]
- 巻3「揚古利戰退烏拉兵」
- 巻3「三將克扎庫塔」
死去
一族
本章は基本的に『八旗滿洲氏族通譜』[4]に拠った。それ以外についてのみ脚註を附す。
- 父・フラフ (扈喇琥hūlahū)
- フルハン
- 長子・アルサイ (阿爾賽arsai)
- 次子・ブルサイ (布爾賽bursai)
- 三子・フンタ (渾塔hūnta)
- 四子・ジュンタ・バトゥル (準塔巴圖魯junta baturu)
- 五子・フシブ (瑚什布hūsibu)
- 六子不詳
- 七子・ダライ (達賴dalai)
- 八子・ダムブ (丹布dambu)
- 次弟・フシタ (胡施塔hūsita)
- 三弟・サムシカ (薩木什喀samsika)
- 四弟・ダハムブル (達漢布祿dahambulu)
- 五弟・ヤシタ (雅錫塔yasita)
- 六弟・ダルタイ (達爾泰dartai)
- 七弟・ヤライ (雅賴yarai)
- 八弟・ヤングタイ (揚果泰yanggūtai)
- 九弟・アングタイ (昂古泰anggūtai)
- 十弟・ダバイ (達拜dabai)
- フルハン
尚、馬察マチャ地方の正白旗人・巴篤理札爾固齊バドゥリ・ジャルグチ、加哈ギャハ地方の正藍旗人・渾托和ホントホ、佟佳トゥンギャ地方の漢軍鑲黄旗人・佟養正トゥン・ヤンジェン、長白山地方の正紅旗人・尼堪洪科ニカン・ホンコらはフルハンと同族とされる。
