フロタマサトシ
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故郷の八幡製鉄所で工作機械を作る仕事をしていたが、結核で5年間療養所生活を送る。
1955年(昭和30年)28歳の時、妻・和枝と共に上京、荻窪に喫茶店「邪宗門」[1]を開く。店名は、福岡ゆかりの詩人・北原白秋の作品『邪宗門秘曲』[2]から引用する形で名前をつけられている。開店に尽力してくれた同郷の名和孝年の「邪宗門」(吉祥寺から国立に移転)からの「のれんわけ」で、他にも数店舗が開店された。[3]のれんわけの条件が「マジックができる、儲けを気にしない」であったという。
フロタは名和の影響でマジックをはじめる。名和、小野正、神尾吉郎らとオリジナルのマジックを創作する人たちの集まり「邪宗門奇術クラブ」を創立した。若き日の高木重朗、厚川昌男(泡坂妻夫)、小野坂 東らが荻窪「邪宗門」に集まってマジックを披露しあった。 「邪宗門奇術クラブ」は杉並公会堂などで発表会をおこなったが、バックミュージックを小編成のジャズコンボが演奏するなど洒落た雰囲気で、当日のリハーサル以外には合同練習はいらないほどレベルが高かった。
石田天海に師事
カードマニピュレーション
FISMを日本に招致
その後、IBM日本会長に就任。1976年FISM(Fédération internationale des sociétés magiques)ウィーン大会(オーストリア)のガラショー(特別ステージ)にゲスト出演した。
1985年FISM日本会長に就任。1991年FISMスイス・ローザンヌ大会で次期会長に指名される。FISM世界大会がヨーロッパ以外で開催されるのは初めてのことである。招致にあたってのフロタマサトシの尽力は計り知れない。
1994年7月FISM横浜大会が開催されたが、フロタは体調を崩し、大会会長は松旭斎すみえ(日本奇術協会会長)、副会長は瀬島順一郎が務めた。
1997年、石田天海賞受賞。
2003年12月、肺炎で逝去。享年78。遺言により、その死は6ヶ月伏せられた。最後のマジックとして。