ブライアン・タレット
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | オクラホマ州ミッドウェストシティ |
| 生年月日 | 1977年9月21日(47歳) |
| 身長 体重 |
6' 7" =約200.7 cm 220 lb =約99.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2000年 ドラフト2巡目(全体55位)でクリーブランド・インディアンスから指名 |
| 初出場 | 2002年9月16日 |
| 最終出場 | 2011年8月30日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ブライアン・カーティス・タレット(Brian Curtis Tallet, 1977年9月21日 - )は、アメリカ合衆国・オクラホマ州ミッドウェストシティ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
プロ入り前
高校最終学年時の1996年(フロリダ・マーリンズ)、ルイジアナ州立大学在学中の1997年(ニューヨーク・ヤンキース)、1999年(サンディエゴ・パドレス)と計3度ドラフト指名されるが、いずれも契約には至らなかった[1]。2000年にはメンズ・カレッジ・ワールドシリーズで優勝している。
プロ入りとインディアンス時代
2000年にクリーブランド・インディアンスから2巡目(全体55位)で指名され入団。プロ入り後も大学時代までと同様に、先発投手として育成された。2002年にはAA級アクロン・エアロズ、AAA級バッファロー・バイソンズで好成績を残し、9月のロースター拡大に伴いメジャー昇格。
2002年9月16日のボストン・レッドソックス戦でメジャー初登板初勝利、6回を無失点に抑える好投でメジャー初勝利を挙げる。
2003年は7月にメジャーへ再昇格したが、5試合に登板したところで肘を痛めて故障者リスト (DL) 入り。8月26日に手術を行い、そのままシーズンを終える[2]。
2004年は夏場に復帰し、マイナーで主にリリーフとして24試合に登板。2005年は2年ぶりにメジャーに昇格するが、わずか2試合の登板に終わる。シーズンオフの1月17日、トレードでトロント・ブルージェイズに移籍[3]。
ブルージェイズ時代
2006年は開幕をメジャーで迎えるも、序盤は不振で一時はマイナーに降格する[4]。6月に再びメジャーへ昇格してからは主に敗戦処理や大差が付いた勝ち試合でのリリーフを任され、安定した投球を見せた。
2007年も前年に引き続いて、敗戦処理や大差が付いた試合のリリーフとして48試合に登板した。
2008年は自己最多の51試合に登板し、防御率2.88もブルージェイズ移籍後最高の成績であった。
2009年も開幕はブルペンの一員としてスタートするが、相次ぐ先発投手陣の故障により、4月半ばから先発ローテーションに抜擢される。5月には6度の先発登板の全てでクオリティ・スタート (QS) を達成し、序盤のブルージェイズ投手陣を支えた。しかし、6月以降は打ち込まれる試合が増え、7月末にブルペンへ降格した。
2010年は開幕から先発ローテーション入りするも、被本塁打が多く、5月中旬にリリーフにまわされる。しかしその後も被本塁打は増え、77イニングで20本塁打を喫した。オフの11月12日にノンテンダーFAとなった。
カージナルス時代
11月30日にセントルイス・カージナルスと契約。翌年の6月11日、くしゃみで肋間筋を痛めCT検査を行った際、腎臓に嚢胞があることを発見し、多発性嚢胞腎と診断された。
ブルージェイズ復帰
2011年7月27日にカージナルス、シカゴ・ホワイトソックス、ブルージェイズ間での三角トレードでブルージェイズに復帰したが、9月5日に解雇された。
パイレーツ・パドレス移籍、引退へ
2012年2月3日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結んだ。4月7日、サンディエゴ・パドレスに移籍。5月17日に解雇された。