ブライアン・ピパード

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ブライアン・ピパード
生誕 (1920-09-07) 1920年9月7日
イギリスの旗 イギリス ロンドン アールズ・コート
死没 2008年9月21日(2008-09-21)(88歳没)
イギリスの旗 イギリス ケンブリッジ
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 物理学
研究機関 ケンブリッジ大学
出身校 クレア・カレッジ (ケンブリッジ大学)(PhD)
博士論文 The surface impedance of superconductors and normal metals at high frequencies - 高周波における超伝導体および常伝導金属の表面インピーダンス
博士課程指導学生 ブライアン・ジョゼフソン(1964年)[1]
ジョン・クラーク(1968年)[1]
主な業績 超伝導におけるコヒーレンス長の導入
フェルミ面の計測
主な受賞歴 王立協会フェロー(1956年)[2]
ヒューズ・メダル(1959年)[3]
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ブライアン・ピパード(Alfred Brian Pippard、1920年9月7日 - 2008年9月21日)はイギリスの物理学者。超伝導理論においてコヒーレンス長の概念を導入した。また高周波表面インピーダンス測定によるフェルミ面の研究で知られる。

1966年に新設された大学院大学のクレア・ホールの初代学長に任命された[4]1971年から1982年までキャベンディッシュ研究所教授を務めた[4]

1973年ノーベル物理学賞を受賞したブライアン・ジョゼフソン2025年にノーベル物理学賞を受賞したジョン・クラークの博士課程の指導教官でもある。

著名な土木技術者であったアルフレッド・ピパード(Alfred John Sutton Pippard)の次男として、ロンドンアールズ・コートで生まれる [5]。父親の転勤にともない、1928年からブリストルで、1933年からはウィンブルドンで生活を送った[6]

1938年クレア・カレッジへ入学し[7]、1941年に学士号を取得した[8]

1941年ドーセットにあった防空研究開発局(ADRDE)に動員され、第二次世界大戦が終わるまでレーダー研究に従事した[9]

戦後、ピパードはケンブリッジ大学に戻ると、レーダー研究で得た知見をもとに、金属の高周波電磁応答を測定して、表皮効果と電子輸送現象の解明を研究テーマとした[4]。特に絶対零度近傍で電気抵抗が無くなる状態、すなわち超伝導状態が起こる物質の解析に注力した[4]。当時、超伝導現象の理解は1935年に発表されたロンドン方程式に基づいていた[10]。ピパードは、ロンドン方程式では、実際に測定したいくつかの結果を説明できないことに着目した[10]。ロンドン方程式では「超伝導体中のある点の電流密度がその点の電磁場で決まる」、局所的な応答であると説明されたが、ピパードは「ある点の電流密度は、その点の周囲の有限な領域にわたる電磁場の分布に依存」する非局所な応答と考えた。ピパードは、この電磁場を平均する空間的な広がりを示す長さの尺度を導入した。これがBCS理論においてクーパー対の空間的広がりと解釈され、コヒーレンス長と呼ばれるようになった。

1955年から1956年にかけ、サバティカル休暇シカゴ大学に滞在した[4]。このとき、単結晶の表面抵抗を測定する機会を得る[4]。ケンブリッジに戻った後、測定結果から銅のフェルミ面の曲率を導くことに成功した[4]

1956年王立協会フェロー(FRS)に選出された[2]1959年ヒューズ・メダルを受賞した[3]

1961年よりブライアン・ジョゼフソンの博士論文の指導教官となる[1]。1962年、ジョセフソンは超伝導体間の量子トンネル効果についての新しい理論(ジョセフソン効果)をまとめ、トリニティ・カレッジのフェローシップ論文として提出した[1]。ピパードはサバティカル休暇でイギリスに滞在していたフィリップ・アンダーソンに相談するように勧めた[1]。ジョセフソンとアンダーソン、ピパードで議論が交わされ、ジョセフソンの仮説が妥当であると結論付けられた[1]。ジョセフソンは、6月にフィジカル・レビュー・レターズ(Physical Review Letters)にジョセフソン効果の論文を投稿した。しかし発表当初、ジョセフソン効果は懐疑的に扱われ、特にジョン・バーディーンから激しい批判を受けた[注釈 1][注釈 2]

1964年に、ジョセフソン効果の応用として超伝導量子干渉計(SQUID)が作られると、ピパードは、ジョン・クラークの研究テーマとして、ジョセフソン効果を応用した「SLUG(Superconducting Low indUctance Galvanometer、超伝導低インダクタンス検出器)」の開発を提案した[1]

1974年に、イギリス王室からナイトの称号が授与された[11]1982年、ケンブリッジ大学の早期退職制度を使い第一線から退く[11]。以後も物理学に強い関心をもち、論文誌への投稿や査読を引き受けた[11]。またこの時期に古典物理学の非線形現象について書籍を執筆している[11]

ロンドンサイエンス・ミュージアムに展示されているピパードの設計したパラメトリック励振機構付きのフーコーの振り子

1984年、ロシアの物理学者のウラジーミル・ブラジンスキー(Vladimir Braginsky)は、レンズ・サーリング効果の検出のため南極点にフーコーの振り子を建設して長期間測定することを提案した[12]。これに対して、ピパードは、パラメトリック励振機構付きフーコーの振り子を検討した[12]。しかしパラメトリック励振機構を用い摂動を防止したフーコーの振り子でも、レンズ・サーリング効果のような極めて微小な現象を測定するには、地震動などの外部ノイズの影響が依然として極めて深刻であり、極点に設置しても検出は困難であることを1988年に報告した[12]

1994年に自転車で転倒して骨折し、左目を失明した[11]。2008年9月21日、脳卒中で亡くなる[13]

主な著作

脚注

参考文献

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