ブランドン・ウッド
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ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムでの現役時代 | |
| 基本情報 | |
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| 出身地 | テキサス州オースティン |
| 生年月日 | 1985年3月2日(40歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 三塁手、遊撃手 |
| プロ入り | 2003年 ドラフト1巡目(全体23位) |
| 初出場 | 2007年4月26日 |
| 最終出場 | 2011年9月25日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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リチャード・ブランドン・ウッド(Richard Brandon Wood, 1985年3月2日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投右打。
プロ入りとエンゼルス時代
2003年、全米高校代表チームに選出されるなど、アマチュア時代から注目を集める。同年6月3日、アナハイム・エンゼルスから1巡目(全体23位)でドラフト指名を受け、6月6日契約成立。この年からルーキー級でプレーを始める(61試合出場)。
2005年、A+とAAAトータルで134試合 ・ 打率.321 ・ 43本塁打 ・ 116打点 ・ 出塁率.381 ・ OPS 1.048と言うハイレベルな数字を叩き出し、7月10日フューチャーズ・ゲームに出場。カリフォルニア・リーグのMVPとチーム内のマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー、MiLB.com が選ぶマイナーリーグ・オフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーの三賞に輝いた[1]。また、オフのウィンターリーグではアリゾナ・フォール・リーグのオールプロスペクト・チームにも選出されている。シーズン終了後チーム内の有望株リストで1位にランクされ、ベスト・パワーヒッターに挙げられた[2]。
2006年は、AA級で118試合出場。好成績を挙げ、6月20日はテキサスリーグのミッドシーズン・オールスターに、8月28日には同リーグのポストシーズン・オールスターに出場した。ベースボール・アメリカ誌と Topps 社のAA級オールスターにも選ばれた[1]。前年に引き続き2年連続でチーム内のマイナーリーグ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞した他、有望株リストで1位にランクされ、ベスト・パワーヒッターに挙げられた[3]。
2007年4月26日、メジャー初昇格。即日タンパベイ・レイズ戦において九番打者・三塁手としてスタメン起用され、デビュー戦は4打数無安打(2三振)に終わったが、29日のシカゴ・ホワイトソックス戦ではレフト前に初安打を放っている。その後はマイナー降格と再昇格を何度か繰り返したが、AAA級で111試合 ・ 打率.272 ・ 23本塁打 ・ 77打点と結果を出すと8月22日以降はメジャーに定着した [4]。壁は厚く、わずか13試合の出場に留まったものの、シーズン終了後有望株リストで1位にランクされ、3年連続でベスト・パワーヒッターに挙げられた[5]。
これ以後、マイナーリーグで好成績を挙げるものの、メジャーリーグでは結果を残せないシーズンが続く[6]。2010年はメジャーで過去最多の81試合に出場したが、.146という極端な低打率に終わった。2010年のウッドのOPS.382は、1912年以降に年間200打席以上を得たメジャーリーグ選手の中で歴代最低である[6]。
パイレーツ時代
2011年4月22日に、ウェイバーでピッツバーグ・パイレーツに移籍した。同年は2チーム合計で自己最多の105試合に出場し、打率(.216)や本塁打(7)など、主要な打撃指標でいずれも自己最高の成績を残した。2011年11月2日にFAとなった。結果的に同年がメジャーリーグでプレーした最後のシーズンとなった。
ロッキーズ傘下時代
11月17日、コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。2012年はロッキーズ傘下AAAのコロラドスプリングス・スカイソックスでプレーした。オフの11月3日にFAとなった。
ロイヤルズ傘下時代
2012年11月16日、カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ。
オリオールズ傘下時代
2013年5月9日、ロイヤルズからボルチモア・オリオールズに移籍した。シーズン終了後にFAとなった。
パドレス傘下時代
2013年12月にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだが、シーズン開幕前の2014年3月21日に放出された。
独立リーグ
2014年は独立リーグのシュガーランド・スキーターズと契約して25試合に出場したが、82打数8安打、打率.098と成績が低迷し、引退を決意した[6]。
引退後
2016年3月、マイナーリーグのトリシティ・ダストデビルズ(ショートシーズンA級)の監督となることが報じられた[6]。
選手としての特徴
ベースボール・アメリカ誌の有望株リストでは2006年版3位、2007年版8位[7]、2008年版16位[8]にランクインし、「次代のカル・リプケン・ジュニア」[6]と評されるなど大きな期待を受けていた選手だった。しかしマイナーリーグで好成績を残してもメジャーリーグに昇格すると打撃が通用しなかった[6]。メジャーでの通算打率は.186である。
引退後の取材で、現役当時は大きな期待が重圧となって精神的に変調をきたし、不安感や不眠や目まいなどに悩まされていたと語っている[6]。