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ブルーラークスパー

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欧字表記 Blue Larkspur
性別 牡
ブルーラークスパー
欧字表記 Blue Larkspur
品種 サラブレッド
性別 牡
毛色 鹿毛
生誕 1926年
死没 1947年
父 Black Servant
母 Blossom Time
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Idle Hour Stock Farm
馬主 Edward Riley Bradley
調教師 Herbert John Thompson
 →T. G. Hastings
競走成績
生涯成績 16戦10勝
獲得賞金 272,070ドル
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ブルーラークスパー (Blue Larkspur) は、1920年代末に活躍したアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。ベルモントステークスを含む10勝を挙げ、1957年にアメリカ競馬殿堂に殿堂入りした。

出生

父のブラックサーヴァントはブルーグラスステークス勝ちやケンタッキーダービー2着などの成績を残した競走馬で、ブルーラークスパー以外にも10頭ほどのステークスウィナーを輩出している。

馬名のブルーラークスパーとは、「青い飛燕草」という意味である。アメリカのオーナーブリーダーとして知られるエドワード・ライリー・ブラッドリーが生産した馬の一頭で、彼の他の所有馬と同じく頭文字に「B」をあしらって名付けられている[1]。

競走馬時代

1928年にベルモントパーク競馬場の一般戦でデビュー、初戦は3着に敗れるが、続く未勝利戦をハナ差で制して初勝利を挙げた。勢いをつけたブルーラークスパーは、その後ジュヴェナイルステークス、ナショナルスタリオンステークス、サラトガスペシャルステークスとステークス競走を3勝、ベルモントフューチュリティにも出走予定であったがこれを取り消し、2歳シーズンを7戦4勝の成績で終えた。

3歳時はクラシック三冠路線に駒を進めている。クラシック本番のケンタッキーダービーではそれまでの成績から1番人気に推されたが、不良馬場に脚を取られてクライドヴァンデュッセンの4着に敗退した。その後ベルモントステークスに照準を定めてプリークネスステークスには向かわず、ウィザーズステークスに出走してこれを勝ち、当日に向けて調整を行った。ベルモントステークス当日は再び雨によって不良馬場となっていたが、捲土重来を期して1番人気に推され、これに応えるかのように2着に3/4馬身差をつけて優勝した。

ベルモントステークス以後はドワイヤーステークスに出走して2着に入り、次走アーリントンクラシックステークスを5馬身差で勝つなどのパフォーマンスを見せるが、この頃に屈腱炎を発症したため休養に入っている。結果としてこのシーズンを6戦しかできなかったが、これらの走りが評価されて同年の年度代表馬に選定された。

4歳になって復帰したブルーラークスパーは、スターズアンドストライプスハンデキャップをレコードタイムで優勝、続いてアーリントンカップにも勝利し、同年3戦2勝の成績で引退した。

獲得賞金272,070ドルは、当時のアメリカ競馬史上の歴代3位であった。

種牡馬時代

引退後はブラッドリー所有のアイドルアワーストックファームで種牡馬になり、後に殿堂入りするマートルウッドなどを始めに44頭のステークス勝ち馬を輩出して成功を収めた[2]。ブルードメアサイアーとしてはそれ以上に成功し、114頭のステークス勝ち馬を輩出した。

1946年にブラッドリーが死去するとキングランチに移り、翌年にグリーンツリースタッド移された。1947年に同地で死亡、21歳。

代表的な産駒

評価

主な勝鞍

1928年(2歳) 7戦4勝
ジュヴェナイルステークス、ナショナルスタリオンステークス、サラトガスペシャルステークス
1929年(3歳) 6戦4勝
ウィザーズステークス、ベルモントステークス、アーリントンクラシックステークス
1930年(4歳) 3戦2勝
スターズアンドストライプスハンデキャップ、アーリントンカップ

年度代表馬

  • 1929年 - 年度代表馬、最優秀3歳牡馬
  • 1930年 - 最優秀ハンデキャップ競走牡馬

表彰

血統表

脚注

外部リンク

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