ブルーディライト
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競走馬時代
ケンタッキー州レキシントンの生産者である、ジョン・マーシュの牧場で生まれた牝馬である。リアルディライトは幼いころから体格に優れた馬で、1940年刊行のアメリカン・レースホース誌において「体高は16ハンド(約162.56センチメートル)を超える巨躯の馬で、ストライドも長い馬である。」と言及されている[1]。同誌ではこのほか、ブルーディライトの4つの白徴を備えた青鹿毛の馬体、傾斜した尻、長く端正な首と顔についても紹介している[1]。
2歳となった1940年よりデビューし、ジュリエットステークス、アーリントンワシントンラッシーステークスなどで早くもステークス競走勝ちを収めた。しかし足首の故障により休養を余儀なくされ、[1]、また休養明けの3歳シーズンも碌な成績を挙げられなかった。
翌年4歳となると再び競走能力が取り戻し、アーリントンメイトロンハンデキャップ、シンデレラハンデキャップ、クレオパトラハンデキャップ、プリンセスパットハンデキャップと4つのステークス競走勝ちを手にした。しかし5歳シーズンの春季に屈腱炎を発症し、遂に引退へと追い込まれた[1]。
繁殖牝馬
引退後は馬主ジョン・マーシュの牧場で繁殖入りした。1946年にマーシュが生産活動を解散すると、ブルーディライトはヘンリー・ナイトに購入され、その後カルメットファーム運営者のウォーレン・ライトに転売された[2]。
生涯で出した産駒は10頭で、マーシュの牧場での繋養中に1頭、後のカルメットファーム時代に9頭を産んでいる。そのうち5頭がステークス競走勝ち馬となる高い繁殖成績を誇り、そのうちのいくつかは現在のG1競走に相当するものであった。主に牧場の主力種牡馬であったワーラウェイやブルリーとの交配が多かった。
代表産駒として名の挙がる馬に、第4子リアルディライト(Real Delight 1949年生、牝馬、父ブルリー)がいる。同馬は母とは逆に3歳時に大活躍した馬で、ケンタッキーオークスやコーチングクラブアメリカンオークスなどを勝ち、同年の最優秀3歳牝馬に選出された。また、後の1987年には殿堂入りを果たしている。
産駒にはリアルディライトのような牝馬に活躍馬が多かった。第5子のバブリー(Bubbley 1950年生、牝馬、父ブルリー)もまたケンタッキーオークス勝ち馬で、前年のリアルディライトに続いての同母別馬による連続優勝という珍しい記録を作った。牝馬の活躍馬ではこのほか、エイコーンステークスなど優勝した第7子のプリンセスタリア(Princess Turia 1953年生、牝馬、父ヘリオポリス)がいる。
一方の牡馬の活躍馬には、第2子のオールブルー(All Blue 1947年生、牡馬、父ブルリー)がサンアントニオハンデキャップなど、第8子のケンタッキープライド(Kentucky Pride 1955年生、牡馬、父ブルリー)がロイヤルポインセチアハンデキャップに勝っている。
1966年にカルメットファームで死亡し、遺骸は牧場の墓地に埋葬された。
子孫
ブルーディライトの産駒には、母同様に非凡な繁殖牝馬となった馬もいた。
直子の世代で最も成功した馬はプリンセスタリアで、同馬はケンタッキーダービー・プリークネスステークスの二冠を達成したフォワードパス(Forward Pass 1965年生、牡馬、父オンアンドオン)の母となった。このほかの産駒には、サンフォードステークス優勝馬のターントゥタリア(Turn to Turia 1973年生、牡馬、父ベストターン)がいる。
リアルディライトも同様に繁殖牝馬としてそれなりに成功し、プラムケーキ(Plum Cake 1958年生、牝馬、父ポンダー)などを含むステークス競走勝ち馬を出した馬である。しかしリアルディライトはその産駒らがまた繁殖牝馬として活躍しており、ブルーディライトの牝系はこれを通じて広がっていった。
主な牝系子孫として、4世代先にアリダー(アメリカ殿堂馬)、5世代先にコーデックス(プリークネスステークス)、6世代先にクリスマスキッド(アッシュランドステークス)などがいる。