ジョアシャン・ブーヴェ
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生涯


1656年、フランスのル・マンで生まれた。1673年にイエズス会に入会し、1685年に司祭に叙階された。ルイ14世のもとで組織された6人の宣教師からなる中国宣教団のひとりとして、1685年にフランスを出発した。宣教団は一時タイに滞在したのち、中国南部の寧波を経て、1688年に北京に到着した。宣教団のうち、ブーヴェとジェルビヨンは康熙帝の宮廷で西洋科学を教えた。
その後、康熙帝からルイ14世への遣使として、1693年にブーヴェは中国を離れて1697年にフランスに着いた。ブーヴェは康熙帝が送った49部(一説に300部とも[2])の漢籍をルイ14世に献上した。1698年に再びフランスを出発して、ルイ14世の返礼およびジョゼフ・アンリ=マリー・ド・プレマールなどの多くの宣教師とともに中国に帰還した。帰国後は皇太子胤礽の教育にあたった。
1701年、ブーヴェはゴットフリート・ライプニッツに邵雍の六十四卦(先天図)を送った。これはライプニッツの1703年の二進法に関する論文に使用された[3]。一方、ブーヴェは『易経』などの中国の経書の中に聖書の真実が隠されていると考えていた(en:Figurismを参照)。
ブーヴェは清朝に数学、天文学などの学術を伝えたほか、大規模な実測地図である「皇輿全覧図」の作成にかかわった。また、ブーヴェがフランスで出版した『康熙帝伝』(後藤末雄訳・矢沢利彦補訂、平凡社東洋文庫、初版1970年)は、中国の事情をヨーロッパへ伝えることになった。1730年、北京で没した。