皇輿全覧図
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明代末期・万暦30年(1602年)のマテオ・リッチ『坤輿万国全図』をはじめ、イエズス会士は中国に最新の世界地図を伝えていた[3]。
清代の康熙46年(1707年)[4]、康熙帝がイエズス会士のブーヴェ、レジス、ジャルトゥーらに中国地図の製作を命じた。背景として、1689年のネルチンスク条約[5]などを踏まえた国防上の必要性[6]、康熙帝の西洋数学への関心[5][7]、フランス王立アカデミーにおける中国研究の高まり[5][6]などがあった。
以降、1708年から1717年の10年間にわたり、イエズス会士と中国人により測量旅行と製図が行われた[7]。地図学の手法として、中国伝統の方格図法に代わり[1]、三角測量・梯形投影法・経緯線などが使われた[8][1][5]。レジスの測量隊は沿海地方やチベットの先駆的調査をした[9][4]。チョモランマ(エベレスト)の標高測定も行われた[4]。マッテオ・リパは銅版製作を命じられた[10]。
