ヘンリー・チャンドラー・コールズ

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生誕 (1869-02-27) 1869年2月27日
死没 (1939-09-12) 1939年9月12日(70歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
出身校 オーバリン大学(1893年卒)、シカゴ大学(1898年博士号)
ヘンリー・チャンドラー・コールズ
生誕 (1869-02-27) 1869年2月27日
死没 (1939-09-12) 1939年9月12日(70歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校 オーバリン大学(1893年卒)、シカゴ大学(1898年博士号)
職業 植物学者・生態学者・教育者
活動期間 1897年 – 1934年
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ヘンリー・チャンドラー・コールズ(Henry Chandler Cowles、1869年2月27日1939年9月12日)は、アメリカ合衆国の植物学者・生態学者・教育者である。シカゴ大学の植物学教授として、植物群落の動態、とりわけ植物遷移(植生の継承)の過程を研究し、現代生態学の基礎を築いた先駆者の一人とされる。なお、その姓は「コールズ」("coals")と発音する。

インディアナ州南部のミシガン湖岸の砂丘地帯を対象とした博士論文研究(1898年)は、生態学における植物遷移を体系的に記述した最初の科学論文として高く評価されており、生態学を自然科学の一分野として確立するうえで重要な役割を果たした[1]。コールズはアメリカ生態学会(Ecological Society of America)の創設(1915年)にも中心的な役割を担い、1918年には同学会会長を務めた。

生い立ちと学生時代

コールズは1869年2月27日、コネチカット州ケンジントン(ニューブリテン近郊の農村)にて、農家のヘンリー・マーティン・コールズとエリザ・ホイットルジー(クリーブランドの判事の娘)の間に生まれた[2]。コネチカットに定住するコールズ家の第九世代にあたり、幼少期から母エリザに自然の中を散策しながら草木の名前を教えられて育った[3]

1888年にニューブリテン高校を卒業後、資金を貯めて1890年にオハイオ州のオーバリン大学に進学し、植物学者アルバート・アレン・ライト教授のもとで地球科学と植物分類を学んだ。ライト教授の薫陶を受け、コールズは植物標本の製作を時給15セントで担当するなど研究に打ち込んだ[4]。1893年に優秀な成績でオーバリン大学を卒業した後、ネブラスカ州のゲーツ大学で一年間教鞭をとった。

シカゴ大学での研究・教育活動

1895年にシカゴ大学の大学院奨学金を得て入学し、当初は地質学を専攻した。しかし、植物学科長ジョン・メール・コールターの講義でデンマークの植物学者オイゲン・ウォーミングの著書『植物群落論』(Plantesamfund)を知り、生態学への関心が高まった。コールズは原書を読むためにデンマーク語を独学で習得したとされ、後年1905年にはコペンハーゲンでウォーミングを直接訪ねている[5]

専攻を植物学に転じたコールズは、1896年にインディアナ州デューン・パーク近郊のミシガン湖岸砂丘に初めて足を踏み入れ、植生の劇的な変化に着目した。1898年に博士号を取得すると同時にシカゴ大学植物学科の教員となり、1934年の退職まで同大学に勤め続けた[6]。同大学では生理地形学的生態学、生態学的解剖学、地理的植物学、実験生態学、応用生態学、野外生態学など多様な科目を担当した[7]

コールズは1900年にルイビル出身の植物学者エリザベス・L・ウォーラーと結婚し、1912年に一人娘ハリエット・エリザベスが生まれた。妻と娘はしばしば野外調査に同行したという[8]

学術・社会活動

コールズは博学で親しみやすい人物として知られ、学術組織の組織化においても重要な役割を果たした。1915年にアメリカ生態学会の創設に貢献し(会長職:1918年)、アメリカ植物学会会長(1922年)、アメリカ地理学者協会会長(1910年)も務めた[9]。また、シカゴ科学アカデミー会長(1922年–1934年)、地質調査所の特別野外助手なども歴任した。

野外実習を重視した教育スタイルでも著名であり、学生たちと共に北米各地(インディアナ砂丘、メイン州、アラスカ、ニューメキシコ、カリフォルニア、ユタ、テキサスなど)への4週間規模の野外調査旅行を定期的に実施した[10]

1913年には国際植物地理学遠征(International Phytogeographic Excursion)をアメリカ国内で組織し、ヨーロッパから招いた著名な植物学者たちをグランドキャニオン、ヨセミテ、イエローストーン公園とミシガン湖砂丘などへ案内した[11]

コールズは1939年9月12日にイリノイ州シカゴで逝去した。

学術的業績

インディアナ砂丘の植物遷移研究

コールズの最も重要な業績は、ミシガン湖南岸のインディアナ砂丘(現インディアナ・デューンズ国立公園)における植物群落の研究である。湖岸の砂丘を歩くと、湖岸に近い側から内陸に向かうにつれて、砂の上の数種の先駆植物からはじまり、低木群落、針葉樹林、最終的には落葉樹の極相林へと植生が段階的に変化することを精緻に観察した。コールズはこの空間的な変化を「時間的変化の代替(クロノシークエンス)」として解釈し、植物群落が時間とともに置き換わっていく過程——すなわち植物遷移——の記録として体系化した[12]

コールズはこの植物遷移の過程を、生物体が胚から成体へと発達する過程に類比して論じた。一方で、砂丘の傾斜・風速・風向・水分量・土壌化学など変動する環境因子がしばしばこの過程を乱すことを強調し、遷移が単純な一方向の決定論的過程ではないことも指摘した[13]。また、コールズは遷移の最終段階として比較的安定した植物群落を「極相(climax)」と命名したが、気候変動や撹乱により真の平衡状態が達成されることは現実にはないと認識していた[14]

博士論文を基にした論文「ミシガン湖砂丘の植生の生態学的関係」(The Ecological Relations of the Vegetation on the Sand Dunes of Lake Michigan)は1899年に『ボタニカル・ガゼット』誌に4回連載として発表され、1500回以上引用される生態学の古典的文献となった[15]

動的生態学と生理地形学的植物生態学

コールズは自らの専門を「生理地形学的植物生態学(physiographic plant ecology)」と称し、地形・地質・気候などの物理的環境が植物群落の分布と変化にどのように影響するかを解明しようとした。その理論的枠組みは、地形が動的に変化するように植物群落も変化するという視点に基づくもので、19世紀後半の静的な植物分類学から脱却した「動的生態学」の潮流を形成する端緒となった[16]

1901年には『シカゴとその周辺の生理地形学的生態学』(The Physiographic Ecology of Chicago and Vicinity)を発表し、砂丘以外のシカゴ圏の多様な生態系にも遷移理論を拡張した[17]

教育者・指導者として

コールズは研究論文の数こそ多くはなかったが、教育者・野外調査の指導者としての影響力は絶大だった。シカゴ大学に生態学カリキュラムを一から構築し、37年間にわたって担当した。指導した学生たちの中からは、動物生態学者のヴィクター・シェルフォード、植物生態学者のウィリアム・スキナー・クーパー(ミネソタ大学)、アーサー・ヴェスタル(イリノイ大学)、保全活動家のポール・シアーズなど、アメリカ生態学を牽引する研究者が多数輩出された[18]。1980年にダグラス・D・スプルーゲルが調査した「教育的系譜」によれば、コールズの影響は1950年時点で約50人のアメリカ植物生態学者にまで直接及んでいたとされる[19]

自然保護活動

コールズは科学者としての立場から自然保護運動にも積極的に関与した。1911年にはトーマス・W・アリンソン、イェンス・イェンセンとともにシカゴ・プレーリークラブを設立し、インディアナ砂丘の保護を訴える市民運動の先頭に立った[20]。1916年には連邦議会でインディアナ砂丘国立公園の設立を求める証言を行い、その後のインディアナ・デューンズ州立公園(1925年設立)や同国立湖岸地区(1966年設立、2019年に国立公園に昇格)の実現に礎を築いた。また、イリノイ州立公園やクック郡の森林保護区の整備にも尽力した。

コールズの野外調査地の一つは、現在「コールズ・ボグ(Cowles Bog)」として彼の名を冠しており、インディアナ・デューンズ国立公園内に保護されている[21]

主な著作・論文

  1. Cowles, H.C. (1899). The Ecological Relations of the Vegetation on the Sand Dunes of Lake Michigan (Parts I–IV). Botanical Gazette, 27, pp. 95–117, 167–202, 281–308, 361–391. doi:10.1086/327796
  2. Cowles, H.C. (1901). The Physiographic Ecology of Chicago and Vicinity: A Study of the Origin, Development, and Classification of Plant Societies. Botanical Gazette, 31, pp. 73–108, 145–182.
  3. Cowles, H.C. (1901). The Influence of Underlying Rocks on the Character of the Vegetation. Bulletin of the American Bureau of Geography, 2, pp. 163–176.
  4. Cowles, H.C. (1910). Text-Book of Botany, Volume II: Ecology (with J.M. Coulter and C.R. Barnes). New York: American Book Company.
  5. Cowles, H.C. (1912). The Causes of Vegetative Cycles. Botanical Gazette, 51, pp. 161–183.
  6. Cowles, H.C. (1915). The Economic Trend of Botany. Science, 41, pp. 865–869.
  7. Cowles, H.C. (1926). The Succession Point of View in Floristics. Proceedings of the International Congress of Plant Sciences, 1, pp. 687–691.
  8. Cowles, H.C. (1927). The Persistence of Prairies. Ecology, 8, pp. 380–382.

思想・考え方

コールズは、自然環境を本質的に動的なシステムとして捉えた。19世紀の植物学が主に分類・記載に留まっていたのに対し、コールズは植物群落の変化の過程そのものを研究対象とすることで生態学を「変化する自然環境の科学」として再定義した[22]

コールズは植物遷移において外因的プロセス(撹乱・散布など外部要因)と内因的プロセス(植物による土壌・非生物的条件の変化などの内部要因)の両方が複合的に作用すると理解していた。これは、遷移の内因的側面のみを強調したフレデリック・クレメンツの決定論的な極相理論とは対照的であった[23]。コールズは地質学・地理学・植物学を統合した学際的なアプローチを採用し、植物群落を物理的環境との絶え間ない相互作用の産物として描写した。

また、コールズは生態学(ecology)という用語のアメリカ国内への普及にも大きく貢献した。ウォーミングのデンマーク語著作を自ら読み、その概念をアメリカの文脈に翻訳・導入したことが、アメリカ生態学の語彙と方法論の形成に影響を与えた[24]

発言

コールズの思想の理解を助けるため、キーワードごとに分類した彼自身の説明等の発言を以下に引用する。

生態学の定義
「生態学の領域は、植物とその環境の相互関係を考察することにあります。このような研究は、構造的植物学に対して、動的地質学が構造的地質学に対するのと同じ関係にあるのです。」
(原文:"The province of ecology is to consider the mutual relations between plants and their environment. Such a study is to structural botany what dynamical geology is to structural geology.")[25]
植物遷移のメカニズム
「どの種も、自らにとって不利な形で土壌に影響を与え、それによって異なる種が自らに取って代わるための道筋を整えているのです。」
(原文:"Each species affects the soil in a way disadvantageous to itself and thus paves the way for different species to replace it.")[26]
極相についての複雑性認識
「実のところ、私たちが目にするのは、定数に近づく変数ではなく、別の変数に近づく変数なのです。」
(原文:"As a matter of fact we have a variable approaching a variable rather than a constant.")[27]
砂丘保護の重要性
「これらの種の多くは、砂丘地帯から数マイルの範囲の外では全く見られないため、砂丘を保全しなければ、この素晴らしい植物相が永遠に絶滅してしまうことになるのです。」
(原文:"Many of these species are found nowhere for many miles outside of the dune region, so that failure to conserve the dunes would result in the extinction of this wonderful flora for all time.")[28]

関連項目

脚注

外部リンク

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