ベザレル・スモトリッチ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ベザレル・スモトリッチ ヘブライ語: בְּצַלְאֵל יוֹאֵל סְמוֹטְרִיץ׳ | |
|---|---|
|
| |
| 生年月日 | 1980年2月7日(46歳) |
| 出生地 |
ハスピン ゴラン高原 |
| 出身校 |
ヤシュラツ高校 メルカツ・ハラヴ (ラビ学習校) オノ学術大学 |
| 所属政党 | 宗教シオニスト党 |
| 配偶者 | レヴィタル・スモトリッチ |
| 子女 | 7 |
| 親族 | アイェレト・ナーマス-ヴァービン |
クネセト議員 | |
| 選挙区 | 比例代表区 |
| 当選回数 | 7 |
| 在任期間 | 2015年3月31日[1] - 2023年2月7日[2][3] |
ベザレル・ヨエル・スモトリッチ (ヘブライ語: בְּצַלְאֵל יוֹאֵל סְמוֹטְרִיץ׳, 英語: Bezalel Smotrich, 1980年2月27日 - ) は、イスラエルの弁護士、政治家。第6次ネタニヤフ内閣の財務相兼国防省付大臣。宗教シオニスト党の指導者であり[4]、以前は政党連合ヤミナのメンバーとして活動していた[5]。
その政治思想については、イスラエル未承認国であるサウジアラビアの英字新聞『アラブニュース』[6]、イスラエル承認国であるアメリカ合衆国の放送局CNN[7]、イギリスの公共放送局BBC[8]、フランスの通信社であるフランス通信社[9]、イスラエル国内でも『ハアレツ』[10]『イスラエル時報(The Times of Israel)』[11]など、複数のメディアから極右(あるいは、極右を意味する"Far-right""Extreme right")と見倣されている。

ベゼレル・スモトリッチは、ゴラン高原の宗教的なユダヤ人入植地であるハスピンで生まれ、ヨルダン川西岸地区のベイト・エルで育った。彼の先祖はウクライナの都市型入植地であるスモトリッチにおり、それが彼の名前の由来である。[12]。彼の父親は正統派ユダヤ教の聖職者ラビであり、スモトリッチはメルカツ・ハラヴ・クーク、ヤシュラツ、ケドゥミムのラバ学習校で宗教教育を受けた。イスラエル国防軍での兵役の間には管理スタッフの業務部での任務についていた。彼はオノ学術大学で法学学士を取得して、ヘブライ大学で 公法および国際法の修士号の勉学に入ったが、中退した[13]。彼は弁護士として登録された[14]。スモトリッチは正統派ユダヤ教であり、レヴィタルと結婚して7人の子どもがいる[15]家族はヨルダン川西岸地区のケドゥミム入植地の外に居住しており、自宅は入植総合計画に反した場所に違法に建てられたものである[16][17]。
政治活動
政治経歴
2015年の第20回イスラエル議会総選挙に向けた宣伝活動の中で、彼はトゥクマの名簿の中で党首のウリ・アリエルに次ぐ2番目の位置を勝ち取った[18]。この党はユダヤ人の家と連立して選挙戦を行い、スモトリッチは合同名簿の8番目の位置になった[20]。彼は連立政党が8議席を獲得したため、クネセトのメンバーに当選した[21]。2018年には、彼は国家統一党(国民連合)の指導者に立候補し、ウリ・アリエルに挑戦すると発表した[22]。2019年1月14日に、彼はウリ・アリエルに地滑り的勝利をおさめた[23]。
スモトリッチは大臣、クネセトメンバー、裁判官、上級軍人および警官に対し、6年ごとに資産の公開を求める立法化に着手し、クネセトで承認された[24]。
彼はイスラエルの立法府において、パレスチナ人自治区の併合およびイスラエルボイコット運動の提唱をイスラエル国内で禁じる法制定において鍵となる役割を果たしていると言われている[25][26](国際法上、イスラエルによるパレスチナの占領も併合も認められていない。詳細は国連安保理決議242を参照)。
スモトリッチは、立法府または裁判所では決定できない法的事項の取り扱いに際し、聖書のモーセ5書などのユダヤ教の伝統を考慮すべきだという法改正の共同提案者である。他の提案者としては、リクードのミキ・ゾハール、シャスのヨアヴ・ベン-ヅゥル、ユダヤ人の家からニッサン・スロミアンスキがいる [27]。
2019年4月の第21回クネセト選挙で政党連合URWPの一部として当選した。2019年6月には、スモトリッチは「ユダヤ法を再建する」ために法務大臣の座を要求した[28]。ベンヤミン・ネタニヤフ首相はこの発言から距離を置き、ゲイであることを公表しているクネセトメンバーであるアミール・オハナを法務大臣に任命した[29]。チャンネル13によれば、スモトリッチはその後ディアスポラ(離散ユダヤ人)関連大臣の座を要求したが、彼が離散ユダヤ人とイスラエルとの関係を悪化させるのではないかとの懸念から叶えられなかった[30]。暫定政権としての第四次ネタニヤフ政権(第34代政府)で、2019年6月23日に運輸・交通安全大臣になった[31]。
2019年9月の第22回クネセト選挙で政党連合ヤミナの一部として当選した。選挙後の10月10日、選挙前に決められていた通り政党連合ヤミナは解散した[32]。2020年1月、政党連合ヤミナは再結成された。
2020年3月の第23回クネセト選挙で政党連合ヤミナの一部として当選した。COVID-19に対応するために二大政党のリクードと「青と白」は大連立を組むことを決めた[33]。2020年5月にネタニヤフとガンツの政権(第35代政府)が成立した。政党連合ヤミナは野党になることを選んだ[34]。スモトリッチは運輸・交通安全大臣ではなくなった。
次の選挙が決まったあと、2021年1月8日に政党Tkuma(ナショナルユニオンTkuma)は宗教シオニスト党に改名し[35]、ヤミナから離脱した[36]。
2021年3月の第24回クネセト選挙で選挙名簿宗教シオニストの一部としての宗教シオニスト党の党首として当選した。6月13日にベネットとラピドの政権(第36代政府)が成立し、宗教シオニスト党は野党になった。
2022年11月1日の第25回イスラエル議会(クネセト)総選挙では、宗教シオニスト党はノアムとオツマ・イェフディットと政党連合を組み、合同名簿で立候補した。この選挙で、この政党連合は得票数が前回の2倍以上になり14議席を獲得し、クネセトで3番目に多い政党連合になった。この政党連合の比例名簿の上位14人のうち宗教シオニスト党は7人、オツマ・イェフディットは6人、ノアムは1人だった。11月20日に宗教シオニスト党、ノアム、オツマ・イェフディットの連合は解消された[37]。12月29日に成立した第6次ネタニヤフ内閣(第37代内閣)で、この3党は連立政権の一部になった。スモトリッチは財務相兼国防省付大臣[38][39]として再び入閣した。宗教シオニスト党として、ネタニヤフ率いる政党リクードと「ユダヤ・サマリア地区[注 1]への主権適用(=併合)する政策の策定と推進を主導する」との曖昧な政策合意を交わして連立政権となった[40][41]。国防省付大臣として、ヨルダン川西岸地区のC地区の民政業務の権限を与えられている[42][43]。
2024年5月29日、イスラエル国防軍はヨルダン川西岸地区に命令2195号[44]を布告した(イスラエル国防軍軍律も参照)。占領地の民政を管轄するイスラエル民政局は、従来は事実上軍の管轄下にあったが、新設の副局長に権限の大半を移譲する内容である。スモトリッチはこれに先立ち、4月18日にヒレル・ロスが副局長に「選出」されたと表明していた[45]。ロスは宗教シオニスト党と関係の深いシオニスト青年組織「ブネイ・アキバ」出身で、スモトリッチの盟友であるという[46]。
スモトリッチは6月9日、入植者団体などとの非公式会合で、民政局副局長設置の狙いなどを説明した。公式に併合を宣言しないまま、実質的な併合とパレスチナ国家樹立の阻止、入植地・(イスラエル国内法でも違法な)前哨地への投資、そしてIDFの権限を副局長を通してイスラエル民間団体へ移譲しつつ、「ユダヤ・サマリア地区」は「係争地」であるとのイスラエル政府見解を踏まえ、「一時的な占領」に見せるため表向きは軍政を続けるなどの見解を示した[47][48][49]。
11月11日、宗教シオニスト党の会合で、2024年アメリカ大統領選挙のドナルド・トランプ当選を歓迎し、「ユダヤ・サマリア地区[注 1]の入植地に主権を適用(=併合)する時が来た」と表明した。また、国防省および民政局に対し、主権適用に必要なインフラの準備を指示した[50][51][52]。さらに、X(旧Twitter)に「2025 - ユダヤ・サマリア[注 1]の主権の年」と投稿した[53]。
2025年3月31日、財務大臣から一時的に辞任することを表明した。広報担当者は、1月に連立政権から離脱したユダヤの力が政権に復帰したことに伴い、同党のイタマル・ベン-グヴィル党首がより多くの閣僚ポストを要求したことへの抗議としている[54]。1月まではベングヴィルの政党はクネセトの議員を大臣の仕事に専念させるためのノルウェー法と呼ばれる制度を使ってen:Amihai Eliyahuのクネセトの議席を比例名簿の次点候補に譲っていたが、1月に停戦に合意したネタニヤフに抗議して大臣を辞任したので、クネセトの議席を取り戻していた。これにより、それまでその議席を持っていたスモトリッチの政党のen:Zvi Sukkotが押し出されて失職し、スモトリッチの政党とベングヴィルの政党のクネセトの議席の比率が7対6だったものが6対7になっていた。そして3月にガザでの戦争が再開されたあと、ベングヴィルの政党はネタニヤフ内閣に復帰し再入閣したが、それでもクネセトの議席をスモトリッチの政党に譲らなかった。スモトリッチは、これらがベングヴィルとの合意に明確に違反していると主張した[55]。ネタニヤフは、まだ入閣していなかったベングヴィルの政党のクネセト議員のen:Almog_Cohen_(politician)を副大臣に任命してノルウェー法を使って議席をスモトリッチの政党に譲ることを提案し、Almog Cohenがこれを受け入れたので、スモトリッチの一時的な大臣の辞任は回避された。近年のAlmog Cohenはベングヴィルと対立することが多かった[56][57]。これでスモトリッチの政党は大臣3、副大臣1、クネセトの議席7になり、ベングヴィルの政党は大臣3、副大臣1、クネセトの議席6になった。
2026年2月16日、宗教シオニスト党の会合で「アラブのテロ国家という概念を排除する」「最終的には、呪われたオスロ合意を正式に無効化し、ガザ地区とユダヤ・サマリア[注 1]の両方からの移住を奨励しながら、主権への道を歩み始める」「他に長期的な解決策はない」と主張した[58][59]。