ヤヒヤ・シンワル

パレスチナの政治家 (1962-2024) From Wikipedia, the free encyclopedia

ヤヒヤ・シンワルアラビア語: يحيى السنوار、Yaḥyā al-Sinwār、ヤフヤー・アッ=スィンワール、英語: Yahya Sinwar、1962年10月29日 - 2024年10月16日)は、パレスチナ政治家であり、スンナ派イスラム原理主義組織ハマースの政治局長(最高指導者)。ガザ地区政治局局長(最高幹部、ガザ地区トップ)。

生誕 يحيى إبراهيم حسن السنوار
ヤフヤー・イブラーヒーム・ハサン・アッ=スィンワール

(1962-10-29) 1962年10月29日
パレスチナ国の旗 パレスチナ
ガザ地区
死没 (2024-10-16) 2024年10月16日(61歳没)
別名 ハーン・ユーニスの殺し屋
概要 ヤヒヤ・シンワルيحيى السنوار, 生誕 ...
ヤヒヤ・シンワル
يحيى السنوار
2012年のシンワル
生誕 يحيى إبراهيم حسن السنوار
ヤフヤー・イブラーヒーム・ハサン・アッ=スィンワール

(1962-10-29) 1962年10月29日
パレスチナ国の旗 パレスチナ
ガザ地区
死没 (2024-10-16) 2024年10月16日(61歳没)
別名 ハーン・ユーニスの殺し屋
出身校 ガザ・イスラーム大学
職業 政治家(ハマース最高指導者)、活動家、アラビア語教師
活動期間 1987年 - 2024年10月16日
肩書き ハマースガザ地区政治局長
政党 ハマース
宗教 イスラム教スンニ派
配偶者 (سمر محمد محمد أبو زمر)
サマル・ムハンマド・ムハンマド・アブー・ズマル(通称صالحةサーリハ)
子供 3人(推定)
息子
息子
親戚 ムハンマド・アッ=スィンワール(弟)
ハーミド・アッ=スィンワール(弟)
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ハマースの軍事部門イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の前身組織の創設への関与や、テロ活動の経歴により、2015年以来アメリカ合衆国から特別指定国際テロリスト英語版の指定を受けている[1]

2023年10月7日のイスラエル南部へのテロ攻撃の首謀者であるため[2][3][4]、同年欧州連合(EU)のテロリスト・リスト英語版に加えられ[5]日本においても国際テロリスト財産凍結法に基づく国際テロリストの指定を受けている[6]

2024年10月16日にイスラエル軍と交戦して戦死した[2][4]

アラビア語ではヤフヤー・アッ=スィンワールと発音されるが、日本のメディア等における慣用表記は主にヤヒヤ・シンワルとなっている。

スパイを残忍な方法で殺害するなど「ハンユニスの殺し屋」と恐れられている[7]

名前

フルネーム

يحيى إبراهيم حسن السنوار

転写:Yaḥyā Ibrāhīm Ḥasan al-Sinwār

発音:ヤフヤー・イブラーヒーム・ハサン・アッ=スィンワール

ヤフヤーが本人のファーストネーム、イブラーヒームが父の名前[8]、ハサンが祖父の名前、アッ=スィンワールが家名。

このうち、最初のファーストネームと最後のラストネーム(ファミリーネーム、家名相当部分)のみ並べて短いフルネーム「ヤフヤー・アッ=スィンワール(يحيى السنوار、Yaḥyā al-Sinwār)」とするのが一般的である。

ファーストネーム

本人のファーストネームは يحيى(実際の発音:يَحْيَى、転写:Yaḥyā、ヤフヤー)で、新約聖書に登場する預言者である洗礼者ヨハネの「ヨハネ」、英語圏の男性名「John(ジョン)」に対応したアラブ人名[9]。イスラーム(イスラム教)の聖典クルアーン(コーラン)に預言者としてこの名で登場する。

文語アラビア語ではヤフヤーとヤハヤーが混ざったような発音、口語アラビア語では語末が短母音化してヤフヤ/ヤハヤのような発音となる。

ラストネーム

ラストネーム(ファミリーネーム、家名)は السنوار(実際の発音:اَلسِّنْوَار(ʾas-sinwār)、転写:al-Sinwār、アッ=スィンワール)で、一家の元々の居住地であるアスカラーン(عسقلان、ʿAsqalān、ヘブライ語名:アシュケロン)近くのアル=マジュダル(المجدل、al-Majdal)に見られた家名[10]である。

カタカナ表記

アラビア語での発音はヤフヤー・アッ=スィンワールだが、日本語カタカナ表記では定冠詞のアルの省略、原語のスィ(si)音部分をシ(shi)に置き換えることが広く行われているため、日本語メディアではヤヒヤ・シンワルとなっていることが多い。

生涯

生い立ち

1962年10月29日ガザ地区ハーンユーニスで生まれた[11]ガザ・イスラーム大学アラビア語を学び、在学中からイスラム主義系組織の活動に関与した[11]

シンワルは10代からイスラム主義活動に関与していた[12]

「アル=マジュド」創設

1980年代には、ラウヒー・ムシュタハー英語版とともに後にハマースの治安機関に組み込まれる「アル=マジュド」の組織化に関与した[11][13][14]

名称の「Majd」は、アラビア語の「Majmouath Jihad u-Dawa」または「Majmu’at Jihad wa-Dawa」の頭字語とされ、「ジハードと宣教の集団」を意味すると説明されている[15][16]

アル=マジュドは、「イスラエルへの協力者」とされたパレスチナ人を暴力や殺害によって処罰するために形成された組織であり[15]、反対派に対する抑圧機関である[17]。イスラエルへの協力者とされたパレスチナ人を追跡・殺害・処罰していた。シンワルはその責任者であった[18]

初期のハマースでの活動

1987年ハマースが結成されると、シンワルが組織化に関与していた「アル=マジュド」は、同組織の治安部門に組み込まれた[11]。その後もシンワルは、ムシュタハーとともにハマースの治安機構の設立に関与した[13][14]

シンワルはハマースの治安部門だけでなく、軍事部門の初期形成にも関与している。ハマースの軍事部門イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の前身組織の創設に関与している[19]

そのことから『Britannica』はシンワルをハマース武装部門の初期設計者と位置づけており[11]イスラエル国防軍も、シンワルをハマース軍事部門の創設者の一人と分析している[20]

逮捕と獄中生活

1988年、シンワルはテロ活動により、イスラエルに逮捕された[19]。翌1989年、イスラエル兵2人の拉致・殺害計画と、「イスラエル協力者」とされたパレスチナ人4人を殺害した罪により、有罪判決を受け、終身刑を4件で言い渡されている[11]

シンワルは獄中でも、ハマース囚人の間で強い影響力を持っていたので、反対者やイスラエルへの協力を疑った者に苛烈な暴力と拷問を行い、「ハーンユーニスの屠殺者」として知られるようになった[20]。これにより他の囚人に強大な影響を及ぼし、約1,600人の囚人にハンガーストライキを行わせた[11]

また、複数回脱獄を試みたとされ、独房の床に穴を掘り、刑務所の下を通るトンネルで面会施設から脱出しようとしたこともあったという[21]

一方で、シンワルは獄中でヘブライ語とイスラエル社会に興味を示し、1995年から2002年にかけてハダリム刑務所でイスラエル・オープン大学の科目を履修し、ユダヤ史、シオニズム、ホロコースト、イスラエルの統治制度などを学んでいる[22]

2004年、シンワルは刑務所内で体調異常を訴え、刑務所の判断で、ベエルシェバのソロカ医療センターに送られ、脳腫瘍の手術を受けて回復した[23][24]

出所後の活動

2012年2月12日、シンワルとイラン最高指導者アリー・ハーメネイー

2011年10月18日、シンワルは、ハマースに拉致され5年以上人質にされていたイスラエル兵ギルアド・シャリートの解放と引き換えに行われた人質・囚人交換取引により、釈放されて出所し、ガザ地区へ戻った[11][25]

釈放後、ただちにハマースの幹部として活動を再開。2012年4月にはガザ地区のハマース政治局員に選出され、獄中で囚人指導者として築いた経験を用いて、同組織内の派閥調整に影響力を持つようになった[11]。また、戦闘員に対してイスラエル人の拉致を呼びかけた[11]

釈放後のシンワルは、ハマースの政治部門だけでなく軍事部門のイッズッディーン・アル=カッサーム旅団にも深く関与し、ハマース軍事部門ナンバー3とみなされていた[26]

2014年戦争と人質問題をめぐって

2014年7月8日、イスラエル国防軍はガザ地区からのロケット攻撃を阻止し、イスラエル領内への攻撃に用いられるハマースの越境トンネル網を破壊するため、ガザ地区で「境界防衛作戦」を開始した[27]

この戦争中、ハマースはイスラエルへの協力者と疑ったパレスチナ人に対する拘束・殺害を行った。同年8月には戦争が始まって以降、50人以上の密告者容疑者が殺害されたと報じられた[28]。シンワルも、2014年の戦争中にイスラエルへの協力者と疑ったパレスチナ人の拘束・殺害に関与していたと報じられている[29]

作戦中にイスラエル兵オロン・シャウルとハダル・ゴルディンが死亡し、両名の遺体はハマースによってガザ地区に保持された[30]。また、2014年にはアベラ・メンギストゥ、2015年にはヒシャーム・アッ=サイードがハマースに拘束されたとイスラエル側はみなしていた[30]。後にハマースも、ガザ地区でイスラエル人4人(イスラエル人民間人2人と、2014年の戦争で死亡したイスラエル兵2人の遺体)を保持していることを初めて公に認めた[31](2人の民間人は2025年の解放まで10年以上ハマスに拘束された)。

シンワルは、このイスラエル民間人2名の身柄と兵士2名の遺体を、パレスチナ人囚人の釈放を求める交渉材料として扱った。シンワルは2017年、イスラエル人捕虜をめぐる間接交渉に応じる条件として、シャリート交換で釈放された後に再拘束されたパレスチナ人囚人54人の釈放を要求した[32]

2017年に、赤十字国際委員会のペーター・マウラー総裁がイスラエル人被拘束者問題をめぐりガザ地区を訪問した。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はマウラーに対し、ハマースがイスラエル人の残酷な拘束を行っていると述べ、シンワルは交渉開始の条件としてシャリート交換釈放者54人の釈放を要求していた[33]

2022年12月のハマース創設記念集会で、覆面のハマース構成員が2014年に死亡したハダル・ゴルディンのものとされる銃を掲げ、シンワルはその場に同席していた[34]

アメリカ合衆国のテロリスト指定

2015年9月8日、アメリカ合衆国国務省はシンワルを大統領令13224号に基づき、特別指定国際テロリスト英語版に指定した。国務省は指定理由として、シンワルがハマースの軍事部門であるイッズッディーン・アル=カッサーム旅団の前身組織の創設に関与したハマース工作員であり、1988年のテロ活動でイスラエルに逮捕され、1980年代後半にイスラエル兵2人の拉致・殺害により終身刑4件を受けていること、また2011年のギルアド・シャリートとの捕虜交換で釈放された後、さらなるイスラエル兵の拉致を武装勢力に呼びかけていたことを指定の理由に挙げている[35]

ガザ地区ハマース政治局長

2017年2月、シンワルはイスマーイール・ハニーヤの後任として、ガザ地区のハマース政治局長に選出された[36]。ただし、これはガザ住民による普通選挙ではなく、ハマース構成員だけを対象とした閉鎖的で不透明な内部選挙手続きである[37][38][39]

イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の上級工作員であるシンワルは、軍事部門の最強硬派であり、イスラエルとの和解を拒む人物であった[40]。シンワルの選出は、ハマース軍事部門に近い過激派勢力の伸長を示すものであり、これにより、新たなガザ地区政治局の主要権力は軍事部門に近い工作員らが握ることになった[40][36]

2017年3月、シンワルはハマースが管理するガザ地区の行政委員会を設立したが、これはラマッラーパレスチナ自治政府とのいかなる権力共有にも反対することを意味した[41]

また、シンワルは、ハマースの武装解除を拒否し、イスラエル承認を否定し、イスラエルに対するテロ活動を継続する姿勢を繰り返し示した[42]。シンワルは、ハマースやパレスチナ・イスラーム聖戦などのパレスチナのテロ組織が、2014年ガザ紛争で失った戦力を補充・改善して、新たな高性能兵器を加えたと豪語した[43]

2021年3月、シンワルは、ガザ地区のハマース政治局長に再選されたが、この「選挙」も、ハマース構成員のみに開かれた秘密の内部「選挙」によるものであった[44]

2023年10月7日のイスラエルへのテロ攻撃

シンワルは、2023年10月7日にハマースがイスラエルで実行したテロ攻撃と虐殺について、計画・支援・実行に中心的役割を果たしたハマース最高幹部の一人であった[45]

アメリカ合衆国司法省は、ハマース幹部らがテロ攻撃の計画・支援・実行に中心的役割を果たしたとして、シンワルらをテロ、殺人共謀、制裁逃れなどの罪で訴追した[45]。同省の刑事告訴状には、10月7日の攻撃で、ハマースのテロリストがイスラエル南部へ侵入し、民間人居住地、スデロット、レイム近郊の音楽祭などで民間人を攻撃したこと、攻撃により約1200人が殺害され、その中には40人以上のアメリカ市民が含まれたこと、数百人の民間人が拉致され、人質としてガザ地区へ連行されたこと、ハマースの攻撃で女性に対する性暴力も行われたことなどが記載されている[45]。また、10月7日のテロ攻撃を含むハマースのテロ活動は、イラン政府、特にイスラム革命防衛隊ゴドス軍、およびヒズボラによる支援・供給・訓練に一部支えられていたことも指摘されている[45]

イスラエル国防軍は、シンワルについて、10月7日のイスラエル南部の町・集落およびノヴァ音楽祭虐殺事件の首謀者と分析している[20]

メディア各社も、シンワルを10月7日テロ攻撃の中心人物と位置づけるとともに、そのような人物である彼がこの後、ハマースの最高指導者となるのは、ハマースの過激化の象徴と分析している[46][47]

2023年パレスチナ・イスラエル戦争

2023年10月7日のテロ攻撃をきっかけに、2023年パレスチナ・イスラエル戦争が始まると、シンワルはガザ地区で潜伏を続けた[20][48]

米国・イスラエル当局者の情報によれば、シンワルはハーンユーニス地下のトンネルに潜伏し、イスラエル人人質をイスラエル軍の攻撃から身を守るための「人間の盾」として利用していたという[48]

シンワルと接触していた人物の証言によれば、シンワルが10月7日のテロ攻撃について全く反省しておらず、イスラエルを強制的に譲歩させるには武装闘争が唯一の道であると語っていたという[49]

また、シンワルの戦争中のメッセージによれば、ガザ民間人の死は「パレスチナ解放」につながる「必要な犠牲」であるといい、停戦は望まず、民間人死者が増えるほどハマースに有利になると論じていた[50]

また、イスラエルの情報機関モサドは、ハマースが仲介者による人質取引案を拒否したことについて、シンワルが人道的取引や人質の帰還に関心を持たず、イランとの緊張を利用して地域の緊張拡大を狙っていたことを示すものと分析している[51]

2024年5月20日、国際刑事裁判所(ICC)のカリム・カーン英語版主任検察官がパレスチナ・イスラエル戦争における状況を踏まえ、イスラエルネタニヤフ首相とガラント国防相、ハマース幹部のハニーヤ政治局長、軍事部門トップのデイフと共に、シンワルに逮捕状を請求することを明らかにした[52]

ハマースの最高指導者

2024年8月6日イスマーイール・ハニーヤがテヘランで暗殺された後、シンワルが代わってハマース政治局長に選出され、ハマースの最高指導者となった[53][54]。ハマースの政治局長は、ハマース構成員から成る50人評議会が秘密の内部投票で選出するが、その内部投票すら行われたか不明であり、ハマースはシンワルが「選ばれた」と発表するにとどまった[55]

最高指導者就任後も、シンワルはガザ地区に潜伏したまま戦争指導を続けた。ガザ停戦・人質解放交渉ではハリール・アル=ハイヤが交渉窓口を続ける一方、ガザ内部で戦争を指揮するシンワルの指導を受ける形になったと[56]

2024年10月には、シンワルが数週間にわたって仲介者との連絡を絶った後、カタールの仲介者と再び連絡を取ったと報じられたが、イスラエル当局者は、シンワルが人質・停戦取引に関する立場を軟化させた様子はないとした[57]

米当局者の話として、シンワルは自らが戦争を生き延びられないとの見方を強めており、イランやヒズボラがイスラエルとより大きな戦争を始めることに望みをかけ、人質交渉にも停戦取引も拒絶していたが、2023年10月7日以降のイランとヒズボラのイスラエルとの全面戦争を開始することに消極的な態度は、シンワルにとって誤算だったという[58]

戦死

2024年10月16日、戦死する直前のシンワルを映したイスラエル軍のドローン映像。ドローンに木片を投げつけるシンワル。

2024年10月16日、シンワルはラファのテル・スルタン地区でイスラエル軍部隊との交戦中に死亡した。この交戦は、シンワル本人を事前に特定して狙った標的作戦ではなく、イスラエル軍部隊が同地区での作戦中に武装員3人と遭遇したことから発生したものであった[59][60]

イスラエル軍の説明によれば、同日午前10時ごろ、ラファのテル・スルタン地区で活動していた第828ビスラマク旅団英語版の部隊が3名の不審者を確認し、その捜索中に発砲と手榴弾投擲を受けた。兵士らは応射し、逃走を試みたテロリスト3人は負傷して散開し、2人は一つの建物へ、後にシンワルと判明する1人は別の建物に単独で逃げ込んだ[61][59]

その建物にイスラエル戦車が砲撃した後、歩兵小隊が捜索のため接近すると、シンワルは手榴弾2個を投げ、このうち1個が爆発したため、兵士らはいったん撤退した。この後、イスラエル軍は、テロリストが逃れた2階の状況の確認するためドローンを投入し、その結果、腕を負傷し、クーフィーヤで顔を覆ったシンワルが座っている姿が確認された。この映像には、シンワルがドローンに向かって木片を投げつけるところが写っている。イスラエル軍はさらに建物に戦車砲撃を行い、シンワルは絶命した[59]

戦闘後、イスラエル軍は建物内でこの男の遺体を発見した。遺体は防弾ベスト、拳銃、現金を所持していた[62]

イスラエル軍は当初、この遺体がシンワルとは把握していなかったが[63]、やがて、外見や特徴的な歯並びからシンワルの可能性が浮上した[64]

死亡確認の経緯

10月17日にイスラエル軍は前日16日の戦闘でシンワルを殺害した可能性があると発表した[65][66]。イスラエル軍は同日中に遺体のDNA鑑定により、死亡した人物の一人がシンワルであることを確認した[2][67]

イスラエル軍のヘルジ・ハレヴィ参謀総長は、部隊はシンワルがその場所にいると事前に知っていたわけではなかったが、専門的に行動してシンワルを排除したと述べている[68]

10月18日にハマース側もシンワルが死亡したことを認めた[69]

死後、弟のムハンマド・アッ=スィンワール(ムハンマド・シンワル)が指導者の座についた[70]。そのムハンマドも翌2025年5月13日にイスラエル軍の空爆を受け死亡し、また別の兄弟で大学講師のザカリアがやはりイスラエル軍の空爆を受け5月17日に死亡したと報じられた[71]

テロリスト指定・制裁

2015年9月8日アメリカ合衆国国務省はシンワルを大統領令13224号に基づく特別指定国際テロリスト英語版に指定し、アメリカ合衆国財務省外国資産管理局(OFAC)のSDNリストにも、ハマース関連の特別指定国際テロリストとして掲載された[72]。国務省は指定理由として、シンワルがハマースの軍事部門であるイッズッディーン・アル=カッサーム旅団の前身組織の創設に関与したハマース工作員であり、1988年にテロ活動によりイスラエルに逮捕され、イスラエル兵2人の拉致・殺害で終身刑4件を受けたこと、また2011年のギルアド・シャリートとの捕虜交換で釈放された後、さらなるイスラエル兵の拉致を武装勢力に呼びかけていたことを挙げている[19]

2023年11月14日イギリス政府は、同年10月7日のハマースによるイスラエルへのテロ攻撃に対するハマース制裁措置の一環として、シンワルを制裁対象に加えた。英国政府は、シンワルについて、ハマースのガザ地区政治指導者として、同年10月のイスラエルへの残忍な攻撃に関与したと報じられていると説明した。制裁措置には渡航禁止、資産凍結、武器禁輸が含まれる[73]。英国財務省金融制裁実施局は、シンワルについて、ハマースの構成員または関係者であり、ハマースがテロ活動に関与している、または関与していた組織であることを制裁理由としている[74]

2024年1月16日欧州連合(EU)は、シンワルをテロリスト・リスト英語版に加えた。EU理事会は、この指定について、2023年10月7日にイスラエルで行われたハマースによる残忍かつ無差別なテロ攻撃と、ハマースがもたらす脅威への対応の一環であると説明している[75]

日本においても、国際テロリスト財産凍結法第4条第1項第1号及び同項第2号ハに基づく国際テロリストとして公告されている。警察庁の公告国際テロリスト一覧では、「ヤヒヤ・シンワル(Yahya SINWAR)」として掲載されている[6]

2024年2月6日カナダ政府は、2023年10月7日に始まったハマースによるイスラエルへのテロ攻撃への対応として、ハマースまたはその関連組織に属する11人に制裁を科した。カナダ政府は、対象者らがハマースまたはその関連組織で上級職にあり、10月7日のイスラエルへのテロ攻撃の計画、資金調達、実行に不可欠な役割を果たしたとしている[76]。この制裁によりカナダ国内の資産は事実上凍結され、カナダ国内の者および国外のカナダ人による対象者との取引は禁止され、対象者はカナダへの入国不許可対象となるた[77]

脚注

関連項目

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