ベストボーイ
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| ベストボーイ | |
|---|---|
| 現役期間 | 1986年 - 1991年 |
| 品種 | サラブレッド[1] |
| 性別 | 騸[1] |
| 毛色 | 栃栗毛[1] |
| 生誕 | 1983年3月8日[1] |
| 死没 | 不明 |
| 抹消日 | 1993年4月1日[2] |
| 父 | ホウヨウボーイ[1] |
| 母 | リユウゼンジ[1] |
| 母の父 | ニンバス[1] |
| 生国 |
|
| 生産牧場 | 沖田牧場[1] |
| 馬主 | 沖田正憲(中央・北海道)[1] |
| 調教師 |
藤原敏文(美浦) →三上茂(北海道)[1] |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 35戦9勝[1] |
| 獲得賞金 | 2935万1000円[1] |
| 勝ち鞍 | 道営記念(札幌・1987年) |
ベストボーイとは日本の競走馬である[1]。早世したホウヨウボーイの代表産駒で、条件馬の身ながら1987年の道営記念に優勝した。
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ベストボーイは門別の沖田牧場で1983年3月8日に生まれ、1984年の秋に去勢される。1985年に3歳になったベストボーイは、当初は中央競馬の藤原敏文厩舎に入厩し、中央競馬でデビューする予定であったが、結局未出走のまま道営競馬へと転厩することになった。1986年に4歳で道営競馬でデビューし、条件戦を15戦して5勝を挙げた後、1987年に格上挑戦で当時の古馬重賞であった日本中央競馬会理事長賞(8着)と農林水産大臣賞典(2着)を使った後、当時道営競馬のサラブレッドナンバーワン決定戦であった道営記念へと駒を進める事となった。ベストボーイは道営記念出走時点で条件馬であり、自己条件にも出走できる身であったが、三上茂調教師と馬主の沖田正憲氏は「父に似て豪快なフットワークを誇り、母系からは豊かなスタミナを受け継いでおり、十分勝負になる」と判断し、道営記念への出走を決定したという。その道営記念では条件馬という事もあり7番人気と人気はなかったが、並み居るオープンの強豪馬を押し退け、2着のテネシーワルツに2馬身半の差をつけて快勝、道営競馬の頂点に立った。
その後ベストボーイは、1988年7月14日にサロマ賞を勝ち、1988年8月18日の赤レンガ記念(3着)を挟んだ後、地方競馬代表の1頭として1988年9月18日のオールカマーへと向かった。 この年のオールカマーは、中央競馬からはスズパレードやマックスビューティら9頭が、地方競馬からはチヤンピオンスター(大井)やカツノコバン(高崎)ら6頭が参戦する豪華メンバーとなった。ベストボーイは13番人気と人気薄だったが、 ベストボーイの担当厩務員はレース前、「距離が延びるにつれて真価を発揮してきた。ここも後方一気の競馬で勝負したい」と抱負を語っていた。しかし、レースでは終始後方のままスズパレードの13着と惨敗。しかもレース後の精密検査で左第三手根骨の骨折が判明した。症状はかなり重く、再起までには時間を要するという状態で、1年の休養を余儀なくされる。1年後の1989年9月7日の支笏湖賞(5着)で復帰するものの、以後は精彩を欠き、11戦して2勝しかできず、1991年9月3日の茨戸特別(6着)を最後に登録を抹消された。この馬のその後はわかっておらず、抹消理由が時効であった事や、同馬が騸馬であった事などから、廃用になった可能性があるという。