ロイヤルチャージャー
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現役時代は3歳時の1945年に2000ギニーで3着、4歳時の1946年にクイーンアンステークスを勝ったあと、同年末に競走馬生活を退き、5万2000ポンドでナショナルスタッドに売却され種牡馬となった。
イギリスでの種牡馬時代は代表産駒ターントゥを始めとして、シーチャージャー、ジルドレ、ロイヤルチャレンヂャーなど、イギリスとアイルランドのクラシック競走などで活躍した産駒を多数輩出している。
1953年には、叔父のナスルーラ(競走馬の血統では4分の3同血にあたる)がアメリカ合衆国で成功を収めていたこともあり、30万ドルという高額でアメリカ・ケンタッキー州レキシントンのジョージ・D・ワイドナー・ジュニアに購入された。アメリカでもロイヤルオービット、モンゴなど活躍馬を輩出し、イギリス時代と合わせ最終的に363頭中55頭以上のステークス競走優勝馬を出した。さらに1958年には、輸出前に残した産駒・ターントゥが、その産駒・ファーストランディングの活躍でイギリス2歳リーディングサイアーとなるなど、後継種牡馬にも恵まれている。
加えてロイヤルチャージャーは母の父(ブルードメアサイアー)としても優秀で、70頭以上のステークス競走優勝馬を輩出した。ロイヤルチャージャーを母の父に持つ馬はクラウンドプリンス(イギリス2歳牡馬チャンピオン、日本などで種牡馬として供用)、マジェスティックプリンス(クラウンドプリンスの弟、アメリカ競馬殿堂入り)、テューダークイーン(アメリカ2歳牝馬チャンピオン)、などがいる。
1961年11月に死亡。遺体は、レキシントンのオールドケニーファーム(現スペンドスリフトファーム内)に埋葬された。
父系のその後
数多くの産駒を残したロイヤルチャージャーの後継種牡馬で最も成功したのはやはりターントゥであろう。ターントゥは競走馬としては骨折により殆ど実績のないまま引退を余儀なくされたが、後継種牡馬としては一定の成功を収めた。ロイヤルチャージャーの父系は、ターントゥの仔ヘイルトゥリーズンとサーゲイロードの時代に勢力を拡張し、一気に世界中に広まっていった。日本ではヘイルトゥリーズンの孫サンデーサイレンスとブライアンズタイムの2頭が2000年代において一大勢力を築いた。外国ではファーストランディングやサーアイヴァーの他、ベストターンの仔コックスリッジが多くの産駒を残し、その父系を現在迄繋げている。
代表産駒
- イドゥン / Idun(1957年フリゼットステークス、1958年マザーグースステークス、ガゼルハンデキャップ)
- コペンハーゲン / Copenhagen(種牡馬、ニュージーランドリーディングサイアー4回)
- シーチャージャー / Sea Charger(1952年ナショナルステークス、1953年アイリッシュ2000ギニー、アイリッシュセントレジャー)
- ジルドレ / Gilles de Retz(1956年2000ギニー)
- ハッピーラフター / Happy Laughter(1953年1000ギニー、コロネーションステークス、ナッソーステークス)
- モンゴ / Mongo(1962年・1963年ユナイテッドネイションズハンデキャップ、1963年ワシントンDCインターナショナル)
- レアリーリーガル / Really Regal(種牡馬、ホウヨウボーイの母父)
- ロイヤルオービット / Royal Orbit(1959年プリークネスステークス)
- ロイヤルセレナーデ / Royal Serenade(1951年・1952年ナンソープステークス、1952年オールエイジドステークス、1953年ハリウッドゴールドカップ)
- ロイヤルチャレンヂャー / Royal Challenger(1953年ミドルパークステークス)
- ターントゥ / Turn-to(種牡馬、ヘイルトゥリーズンの父)