ベヌステ・ニョンガボ
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| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 陸上競技 | ||
| オリンピック | ||
| 金 | 1996 アトランタ | 男子5000m |
| 世界陸上選手権 | ||
| 銅 | 1995 イェーテボリ | 男子1500m |
ベヌステ・ニョンガボ(Vénuste Niyongabo、1973年12月9日- )は、ブルンジの陸上競技選手。アトランタオリンピックの男子5000m金メダリストである。
ニョンガボは、ブルンジ南部のツチ族の出身。1992年に出場した世界ジュニア選手権の1500mで2位となるものの、翌年の世界選手権では1500mで準決勝敗退という結果に終わった。しかし、その後、ニョンガボはすぐに1500mで世界のトップランナーに成長する。1994年、1995年にはいくつものメジャータイトルを獲得した。1995年の世界選手権では、1500mで、アルジェリアのヌールディン・モルセリ、モロッコのヒシャム・エルゲルージに次いで3位となり銅メダルを獲得した。
1996年アトランタオリンピックは、ニョンガボの祖国ブルンジが、初めてオリンピックに参加する大会であった。この大会、ニョンガボは1500mでの下馬評が高かったが、自ら出場を取りやめた。理由は、ニョンガボと同じブルンジのデュードネ・クイゼラに1500mの出場を譲るためであった。クイゼラはかつては世界のトップアスリートであったにもかかわらず、ブルンジがIOCに加盟していなかったため、ソウル、バルセロナとオリンピックに出場できなかった選手であった。ニョンガボは代わりに、それまで2回しか走ったことがない5000mに出場した。この出場競技の交代が功を奏し、ニョンガボは、ラスト1周、1500mのスピードを生かしたスパートで、番狂わせとなる金メダルを獲得した。
アトランタの後、ニョンガボは度重なる故障のため、かつてのような活躍ができなくなる。2000年シドニーオリンピックでは5000mに出場するも、予選で15位と惨敗してしまった。