ベルナール・フェレー
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| The Most Reverend ベルナール・フェレー (Bernard Fellay) SSPX | |
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| 聖ピオ十世会名誉総長 | |
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フェレー (2008年頃) | |
| 選出 | 1994年7月 |
| 離任 | 2018年7月11日 |
| 前任 | フランツ・シュミットバーガー |
| 後任 | ダヴィデ・パリャラーニ |
| 聖職 | |
| 叙階/叙聖 |
1982年6月29日 マルセル・ルフェーブルが叙階/叙聖決定 |
| 司教/主教 |
1988年6月30日 マルセル・ルフェーブルが昇叙 |
| 個人情報 | |
| 出生 |
1958年4月12日(67歳) スイス、シエール |
| 国籍 | スイス |
| 教派・教会名 | カトリック教会 |
| 出身校 | 聖ピオ十世会国際神学校 |
| 座右の銘 | Spes nostra (羅:我らの希望) |
| 紋章 |
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ベルナール・フェレー の聖職授任歴 | |||||||||||||||||||||
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ベルナール・フェレー(Bernard Fellay FSSPX)(1958年4月12日 - ) は、カトリック聖伝主義の司祭兄弟会である聖ピオ十世会(SSPX)の前総長のスイス人司教である。1988年、教皇ヨハネ・パウロ2世は、フェレーら3人は、マルセル・ルフェーブル大司教によって司教に任命されたため、自動的に破門されたと発表した。聖座はこの行為を 「非合法的 」かつ「離教的」であるとした[1]。ルフェーブル大司教と、この4人の司教を共同奉献したアントニオ・デ・カストロ・マイヤー司教も自動的に破門された。当時、フェレー司教は30歳で、ローマ・カトリック教会の最年少司教であった。2009年1月、フェレーの要請により[2]、教皇ベネディクト16世の指示により、司教協議会は4人の司教の破門を取り消した[3]。
フェレーは1958年にスイスのシエールにて生誕した。1977年10月、19歳でスイスのエコン(Écône)にある聖ピオ十世会国際神学校に入り、司祭になるための勉強を開始した。1982年6月29日、マルセル・ルフェーブル大司教により司祭に叙階された。 叙階後はSSPXのBursar Generalとして10年間、スイスSSPXの本部であったリッケンバッハ Rickenbachに駐在した。フェレーはフランス語、イタリア語、英語およびドイツ語に堪能であり、スペイン語も解する。また熱心なバイク乗りとしても知られている。
司教聖別およびバチカンより破門
1988年6月、マルセル・ルフェーブル大司教は、フェレー他3名の司祭(ベルナール・ティシエ・ド・マルレ、リチャード・ウィリアムソンおよびアルフォンソ・デ・ガラレタ)を司教へ聖別する意向を明らかにした。ルフェーブルはこの件に関して、教会法の第1382条により通常要求される、教皇からの許可など聖座からの命を受けてはいなかった。ルフェーブルは事前に聖座に何度も許可を求め、また聖座も(許可を出すことを)約束したにもかかわらず、一向に期日が示されなかったからである。1988年6月17日、prefect of the Congregation for Bishops であるベルナルダン・ガンタン Bernardin Gantin 枢機卿は、 当該4人の司祭に、もし彼らが教皇の許可なくルフェーブルによって司教に聖別されるならば、自動的に破門に処されるという、正式な教会法上の警告を送った。
1988年6月30日、フェレー他3名の司祭は、ルフェーブル大司教およびアントニオ・デ・カストロ・マイヤー司教により、司教に聖別された。1988年7月1日、ガンタン枢機卿は、ルフェーブル、デ・カストロ・マイヤー、フェレー他3名の新司教は「latae sententiae により聖座に留保されている破門を事実上受けた者である」という宣言を発した。
1988年7月2日に教皇ヨハネ・パウロ2世 が発した 自発教令 Ecclesia Dei (エクレジア・デイ)の中で、教皇は彼らの破門を再確認し、当該司教聖別は「教皇に対する重大な不服従であり、教会の一致において極めて重大事である("disobedience to the Roman pontiff in a very grave matter and of supreme importance for the unity of the Church")」とし、また「このような不服従は実質的に教皇の教導権の拒絶であり、離教行為を構成する("such disobedience – which implies in practice the rejection of the Roman primacy – constitutes a schismatic act".)」と説明した。エクレジア・デイ委員会の責任者であるダリオ・カストリヨン・オヨス Darío Castrillón Hoyos 枢機卿は、これについて「正式な分裂ではないにせよ、(SSPXは)離教の状態にある("situation of separation, even if it was not a formal schism."[4])」と述べた。
一方で SSPX 側は、司教聖別は必要なことであったとして、破門の有効性を否認している。SSPX は、教会法 (canon law) によれば、重大な事態の際には司教らに教皇の許可なく司教を聖別する権限が与えられているとして、カトリック教会が瀕している道徳的および神学的な深刻な危機をその理由に挙げた[5][6][7]。