ベルリン楽器博物館

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外観
内装

ベルリン楽器博物館(ベルリンがっきはくぶつかん、ドイツ語:Musikinstrumenten-Museum Berlin)はドイツベルリンのティールガルテン通り英語版クルトゥル広場英語版にある。博物館は16世紀からの3500を超える楽器を保有し、ドイツ最大の楽器収蔵庫の一つである。収蔵品に嘗てプロイセンゾフィー・シャルロッテ女王が所有した携帯式チェンバロフリードリヒ2世の収蔵品のベンジャミン・フランクリンアルモニカがある[1]

博物館はフィリップ・シュピタ英語版ヨーゼフ・ヨアヒムが収集した収蔵品の中からベルリン王立音楽学会英語版に1888年に設立された。装飾芸術美術館英語版からの34点の楽器は嘗てプロイセン王国の宮殿の中心であり収蔵品の基礎を形成した。1890年までに博物館はライプツィヒの出版人で音楽ディーラーのポール・ド・ウィットフランス語版から数百点以上を購入していた。世界で有名なバッハチェンバロフランス語版はこの一つである。最大の購入品はヴィルヘルム2世から財政支援を受けた1892年から1919年まで初代館長であったオスカル・フライシャー英語版が行った。1902年にジャン・オトテール英語版による現物の横笛数点の一つと同じく17世紀のラッカーズ英語版チェンバロ4点などのセザル・スネックフランス語版の個人収蔵品からの1400点を超える楽器が獲得された[2]。1919年から1933年まで館長であったクルト・ザックスは収蔵品に科学的な研究法をもたらした。現代の楽器学英語版(楽器研究)の創設者の一人であり、ザックス・ホルンボシュテル英語版楽器分類法を共同で著した。博物館は国際的な重要性を増し、そのカタログは今日学術調査書の基礎を為している[3]

ナチスが1933年に権力を手に入れると英語版ザックスは国民社会主義ドイツ労働者党により解任されユダヤ人であったために出国を余儀なくされた。1935年に楽器の収蔵品は学界からマックス・ザイフェルト英語版が代表のドイツ音楽調査のための新しい全国研究所英語版に移管された。新しい博物館が1936年にクロッシュテルシュテラセ36のフォン・クロイツ宮殿で開館し第二次世界大戦までに4000を超える楽器を所有した[4]。戦時中博物館と収蔵品はほぼ完全に破壊された。1943年に収蔵品は連合軍の空襲から守るために避難した。大規模な保安対策にもかかわらず多くが失われた。1945年1月に「帝国科学・教育・公教育大臣布告により」博物館は閉館した。戦争が終わるまでに建物は荒廃し元々収蔵していた700点の楽器が残っただけであった[5]

戦争直後の余波で博物館や研究所から持ち去られた物は直接西ベルリン政府により管理され、1949年にシャルロッテンブルク宮殿の一時的な一角に移された。僅かな資金にもかかわらず徹底した努力で楽器収蔵品を再構築するのに取り掛かった。1950年にヨハン・ゼバスティアン・バッハの没後200周年に研究所は宮殿のオークの間で博物館の歴史的な楽器を使って初めての室内楽演奏会を開催した。1975年まで館長であったアルフレット・ベルナーは主に博物館の再建に加えて楽器学英語版に焦点を当てた総合図書館の再建に成功した。

1984年から博物館はベルリン文化広場英語版ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の隣のケンペルプラッツ英語版のヴィスニーフスキが設計した建物にある。今日3200を超える収蔵品の楽器があり約800点の展示品が恒久的な展示として行われている。依然演奏可能なその楽器は日常的に演奏されている。今日楽器博物館(MIM)はプロイセン文化遺産財団英語版の主催で国立音楽調査研究所英語版の一部である。

建物

内部

楽器博物館(MIM)と国立音楽調査研究所(SIM)はベルリンで同居している。共通の建物は1972年に死去した建築家ハンス・シャロウンが設計した後でエドガー・ヴィスニーフスキ英語版により1979年から1984年に建造された。

博物館は1929年の(1228個のパイプと175個の音管列、43個のピストンのある)壮大なヴルリツァーオルガン英語版と共に劇場オルガン英語版が生で聞ける数か所の一つである。嘗てシーメンス創業者の孫のフェルディナント・ヴェルナー・フォン・ジーメンス英語版の邸宅のコンサートホールにあった。毎週木曜日のガイド付きツアーの後で午後6時からと毎週土曜日に昼にこの楽器は公開演奏される。博物館にも室内楽演奏会が日常的に行われる博物館が所有するコンサートホールクルト・ザックス・ザールがある。

収蔵品

ギャラリー

関連項目

参照

外部リンク

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