ペドロ2世 (ポルトガル王)
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| ペドロ2世 Pedro II | |
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| ポルトガル国王 | |
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| 在位 | 1683年9月12日 - 1706年12月9日 |
| 出生 |
1648年4月26日 |
| 死去 |
1706年12月9日(58歳没) |
| 埋葬 |
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| 配偶者 | マリー・フランソワーズ・ド・サヴォワ=ヌムール |
| マリー・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ | |
| 子女 | 一覧参照 |
| 家名 | ブラガンサ家 |
| 王朝 | ブラガンサ王朝 |
| 父親 | ジョアン4世 |
| 母親 | ルイサ・デ・グスマン |
| サイン |
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ペドロ2世(ポルトガル語: Pedro II, 1648年4月26日 - 1706年12月9日)は、ポルトガル王国ブラガンサ王朝の国王(摂政:1668年 - 1683年、在位:1683年 - 1706年)。「太平王」(o Pacífico)と呼ばれる。ジョアン4世と王妃ルイサ・デ・グスマンの末息子である。
ポルトガルがスペインから独立を承認された直後の1668年、ペドロは精神を病んだ兄王アフォンソ6世(勝利王)の摂政王太子となった。ペドロは兄王を幽閉し、1683年に兄王が崩御するとペドロ2世として王位に即いた。この頃にブラジルで銀鉱山が発見され、ポルトガルは莫大な利益を上げた。
スペイン継承戦争(1702年 - 1715年)において、ペドロ2世は当初はフランスを支持したが、1703年5月16日にイングランドとの間にメシュエン条約に調印した。この通商条約は互いにポルトガル産ワインとイングランド産毛織物の輸入を促進するもので、後にポルトガルが経済的にイギリスに従属する原因となったが、この条約に続いて1703年12月にはポルトガルとイギリス・オーストリア間で軍事同盟が締結された。
ペドロ2世は兄から王位を嗣いだだけでなく、兄の王妃であったサヴォイア家傍系出身のマリア・フランシスカ・イザベル(1646年 - 1683年)と結婚した。彼女との間には一女イザベル・ルイザをもうけたのみで死別し、イザベル・ルイザも病弱だったため、ペドロ2世はプファルツ選帝侯フィリップ・ヴィルヘルムの娘マリア・ソフィアと再婚した。王位はマリア・ソフィアとの間の息子ジョアン5世が継承した。