ペール・ヘンリク・ノルドグレン
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オーランド諸島のSaltvikの生まれ。1958年からヘルシンキで作曲のレッスンを受ける。1962年から1967年までヘルシンキ大学で楽理を、また1965年から1969年にかけてヨーナス・コッコネン(Joonas Kokkonen)に個人的に師事する。1970年から1973年には東京藝術大学で、長谷川良夫の下で作曲を学ぶとともに、日本の伝統音楽を知り、すぐに音楽的影響を受けることになる。
1973年、東京でShinobu Suzukiと結婚後、フィンランドに戻り、カウスティネン(en:Kaustinen)[1]でフリーランスの作曲家として身を立てる。また、オストロボスニア室内管弦楽団(Ostrobothnian Chamber Orchestra)ならびにそのリーダー、ユハ・カンガス(Juha Kangas)との協力関係から、たくさんの管弦楽作品を作曲している。
スタイルは、十二音技法とジェルジ・リゲティのトーン・クラスター技法から来ているが、その中にはさらに多くの要素が含まれ、それが多元的にあるというよりも、一体となっているということができる。ピアノのための『小泉八雲の怪談によるバラード』など日本の伝統音楽との出会いや、カンテレなどフィンランドの民族楽器が重要な役割を占めるフィンランド民謡作品は別として、作曲活動の中心にあるのは弦楽作品で、協奏曲、弦楽オーケストラのための作品、弦楽四重奏曲、ソナタがそれに含まれる。
その経歴から日本との関係も深く、1999年には東北大学混声合唱団の40周年を記念した委嘱により合唱を含んだ大規模な交響曲6番を作曲し、2001年の同合唱団定期演奏会において仙台フィルハーモニー管弦楽団とともに初演されている。
2008年7月まで作曲活動を行っていたが、翌月に死去。64歳だった。