ホイファ
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東海?ニマチャ部[6]出身のイクデリ氏がホイファの地に移り住み、ナラ氏に投じてホイファナラ氏を名告ったのがホイファ部の肇めである。[7]
そののち、ホイファナラ氏の子孫のワンギヌが、フルキ・ハダ[8]の天険に拠ってホイファ・ホトン (輝発城)[9]を築き、ホイファ・グルン (輝発国)[4]を樹立した。初代国主 (ホイファ・ベイレ) となったワンギヌは、チャハル部トゥメン・ジャサクト・ハーンの侵攻を挫くほどの城郭の堅固さを以て一時代はフルン中に覇を唱えた。[7]
ワンギヌの死後、孫のバインダリが叔父七人を殺害して国主 (ホイファ・ベイレ) に即位 (バインダリの父は夭逝)。[7]
ホイファはその後、勃興したばかりのヌルハチ率いるマンジュ (建州部、後の後金) と衝突したが、万暦21 (1593) 年のグレの山の戦で九部聯合軍の主力としてヌルハチ軍と抗戦し惨敗した後は再起も叶わず、万暦35 (1607) 年にヌルハチにより併呑され、バインダリが誅殺され滅亡した。