ホビーパソコン

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ホビーパソコン」には複数の意味があり、

  • 前田尋之が2014年に書いた書籍によると、主に1980年代から1990年代にかけて発売された家庭用のパーソナルコンピュータを示す日本語の言葉[1]
  • 一方、タイニーPが2023年に書いた『電ファミニコゲーマー』の記事によると、「ホビーパソコン」の意味するところは文脈によって違いがあるのが実態であり、(1)「使い勝手が家庭用ゲーム機に近い低価格のパソコン」という意味と、(2)「それより高級な機種を含み、ビジネス向けを除くパソコン」のふたつの意味があった、と説明可能だという[2]

背景

パーソナルコンピュータの発端は、インテルが1971年に発売した世界初のマイクロプロセッサIntel 4004」によるものである[3]。マイクロプロセッサの登場を契機に、米国を中心に安価なコンピュータの組み立てキットが流通、日本でも1976年ごろからワンボード型のコンピュータキットが発売され始め、アマチュアのコンピュータマニアから人気を博した[3]。これらは部品をはんだ付けするなど自分で組み立てる必要があるものであり、ホビーや研究目的が主な用途とされていた[2]

1977年に入ると米国で完成品のパソコンとして、コモドールの「PET2001」、アップルコンピュータの「Apple II」、タンディ・ラジオ・シャックの「TRS-80」が発売[3]。日本でも同様に完成品のパソコンとして、1978年に日立製作所の「ベーシックマスター MB-6880」、1979年に日本電気の「PC-8001」が発売された[4]

1980年代に入ると、半導体の集積化と低価格化によって、漢字を収録した数個のROMを搭載するだけで日本語対応ができる環境が整いつつあった[2]。それによって、1981年発売の富士通のパソコン「FM-8」など漢字対応を謳うパソコンが次第に発売され、日本でも事務用のオフィスコンピュータを置き換える形でのパソコンのビジネス用途における利用が広がりを見せてきた[2][注 1]。また、1980年発売の沖電気工業の「if800」シリーズや、日立製作所の「ベーシックマスター MB6890(レベル3)」のようにターゲットを最初からビジネス用途に絞ったパソコンも登場するようになった[3]日本電子工業振興協会が1982年10月に行った調査によると、パソコンの利用形態として事務用途が40パーセント、科学技術用途が20パーセント、教育や家庭および趣味用途が40パーセントとなっており、元来ホビー用であったパソコンのビジネス用途での利用が定着してきたと評価している[6]

その一方で、家庭向けを強調した10万円以下のパソコンも登場し、1980年にコモドールの「VIC-1001」、1981年には日本電気の「PC-6001」が発売された[2]

ホビーパソコンの誕生

玩具業界では、1980年発売の任天堂の「ゲーム&ウオッチ」を契機としたLSIゲームのブームが1982年をピークに次第に斜陽となり、その次の分野として、その当時米国の玩具市場で人気を集めていたソフト交換式の家庭用ビデオゲーム機に注目が集まっていた[7]。そして、その製品展開として、ゲームだけが遊べるゲーム専用機および、パソコンをベースにゲーム機機能を持たせたホビーパソコンの2種類の路線が注目された[7][8]

ぴゅう太
SORD M5

トミーは、玩具メーカーとして初めて自社開発の16ビットパソコン「ぴゅう太」を1982年秋に発売し、玩具市場の注目を集めた[7]。「ぴゅう太」は小中学生をターゲットにしたゲーム機要素を持ったパソコンであり、ROMカートリッジによるゲームソフトの供給のほか、日本語BASICを採用していることが特徴の製品であった[7]。「ぴゅう太」は発売から4ヶ月で4万台を超える売れ行きを示した[9]

同年秋以降、ソードタカラによる「M5[注 2]」、コモドールの「マックスマシーン」など、「ぴゅう太」と同様に、ROMカートリッジ媒体でゲームソフトを供給するホビーパソコンが各社から登場した[7]。また、1983年発売のバンダイの「RX-78 GUNDAM」のように、玩具メーカーであっても玩具市場以外に向けて、ホビーパソコンを販売するメーカーも現れた[11]。しかし、1983年夏に発売された任天堂のゲーム専用機「ファミリーコンピュータ」の大ヒットなどが背景となり、玩具市場向けのパソコンは徐々に売り上げが萎んでいき、1985年までにはほとんどのメーカーがホビーパソコン事業からの撤退に追い込まれた[2][12]

ソニー「HiT BiT」 HB-75
パナソニック FS-A1WX(MSX2+)

なお、撤退した玩具業界のホビーパソコンの代替的なポジションに座ったのが、アスキーマイクロソフトが提唱した統一規格「MSX」を採用した機種である[2][12]。MSXは1983年に発表された規格で、ハードウェアとソフトウェアについて共通の仕様を定義して製造コストを下げ、家庭により安くパソコンを導入することを目指した規格であった[4]。発表当初、規格には日本楽器製造松下電器産業など14社が参加し、同年から規格を採用した製品の展開が始まった[13]

なお、MSXはCPUに「Z80」、VDPに「TMS9918」、ソフトの供給にROMカートリッジを採用するなど、玩具業界が発売したホビーパソコンに近い仕様を規格として定義していた[13]。そのため、MSXは必ずしもホビー用途のみを対象とした規格では無かったが、世間からは玩具性の強いパソコンとして扱われた[2][13][注 3]。その後、MSXの上位規格として1985年に「MSX2」、16ビットCPU「R800」を採用した1990年発表の「MSXturboR」など複数の規格が発表された[4]。参加企業は年が経つにつれ徐々に減少していき、最終的に松下電器産業1社のみによる展開となったものの、1991年までMSX規格を採用した製品の展開が続いた[4]

なお、2023年の『電ファミニコゲーマー』の記事によると、「ホビーパソコン」という単語がメディアに登場したのは1983年のことであり、主に玩具市場で流通する低価格帯のパソコンを示す言葉であったと記載している[2]。その一方で、パソコン専門店がビジネス用途ではない機種の中で、玩具市場で流通する機種とそれ以外を「ゲームパソコン」および「ホビーパソコン」と呼び分けた事例も紹介している[2]。記事では、「ホビーパソコン」は、個人向けのコンピュータの呼称が、マニアが研究・ホビー目的で扱う「マイコン」から、ビジネス用途なども念頭においた「パソコン」へと移り変わる中で、用途による製品の特化の必要性によって生まれた呼び方であると考察している[2]

ホビーパソコンの高性能化

ビジネス用途のパソコンが徐々に16ビットCPUを採用したものに移行する中で、ホビー目的にグラフィック性能や、FM音源の採用など音楽性能を強化した10万円を超える高額な8ビット機が各社から発売され、その中には「ホビーパソコン」と広告で謳う機種も存在した[2]。1980年代後半以降、次第に日本では8ビット機は価格帯に関わらず総じてホビーパソコンとして扱われるようになっていった[2]

その中でも、1985年発売の日本電気の8ビット機「PC-8801mkIISR」は高性能なホビーパソコンを代表する機種として扱われる[2][15]。「PC-8801mkIISR」はビジネス用途に特化した「PC-9800」シリーズの発売によって、従来のビジネス用途からホビー用途へのターゲットの転換を図った機種となっている[2][15]。従来の「PC-8800」シリーズの機種からグラフィックと音楽性能を強化したもので、発色性能の強化やグラフィックの処理速度の向上、FM音源の搭載を特徴としていた[16]。また、FM音源の採用とその本体の普及により、『マイコンBASICマガジン』などのパソコン雑誌でゲーム音楽を同機を使って再現するプログラムリストの掲載が増加し、日本のDTM文化の発展に影響を与えることとなった[15][16]

また、同時期にはシャープの「X68000」や日本電気の「PC-88VA」、富士通の「FM-TOWNS」のように16ビットや32ビットCPUを採用する機種の中でも、コンピュータゲームやマルチメディア機能などのホビー用途を強調した製品が登場している[2][4]

X68000 ACE(1988年)

1987年発売のシャープの16ビット機「X68000」は「究極の『ホビーパソコン』」を目標に開発された機種であり、当時稼働していた業務用ビデオゲーム機に匹敵するグラフィックと音楽性能を有していた[17]。発売当初のソフト資産の不足から、シャープは開発資料の積極的な公開を行い、これによって市販ソフト以外にもアマチュアのユーザーによる同人ソフトパソコン通信を介して多く配布された[17]。そして、そのコミュニティ内からは、多くのプロのゲームクリエーターを輩出することとなった[17]

FM TOWNS II HR (上) / MX (下)

1989年発売の富士通の32ビット機「FM-TOWNS」は世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載した機種であり、1677万色中256色を発色可能なグラフィックやPCM音源の搭載など、当時としては高性能なマルチメディア機能を有していた[4][18]

PC-9801RX

1990年代以降は、元来ビジネス用途を目的にした日本電気の16ビット機「PC-9800」シリーズも、8ビット機の衰退からホビー目的の客層を次第に獲得していった[19]。1985年発売の「PC-9801VM」は演算性能とグラフィック性能が大幅に強化されており[4][19]、その性能を活かしたゲームソフトが次第に発売されるようになった[19]。また、パソコンゲーム市場には性表現に関する規制が無かったことから、ビジュアル性能を活かしたアダルトゲームもPC-98向けに多く発売され、ホビー用途としての本体の普及に影響を与えた[19]

ホビーパソコンの消滅

日本国外では1984年発売の16ビットCPU「80286」を採用した「IBM PC/AT」の発売後、「PC/AT互換機」と呼ばれる多くの互換機が発売され、パソコンにおける実質的な標準規格となっていった[4][20]。しかし、日本では日本電気の「PC-9800」シリーズが日本のパソコン市場で圧倒的なシェアを誇っており、日本でも1980年代から独自に日本語対応を行ったPC/AT互換機が発売、マイクロソフトが提唱した日本向けのPC/AT互換機規格「AX」が1987年に発表され、それに対応した機種が数社から発売されたものの、いずれも商業的には成功に至らなかった[4]

しかし、1990年にソフトウェアのみで日本語機能が実現できるIBMのOS「DOS/V」が発売された[4]。PC/AT互換機では、当初日本語対応に専用のハードウェアを必要としていたが[4]、このDOS/Vの導入によって日本仕様に設計されたPC/AT互換機でなくても日本語を扱える下地が作られていった[21]。また、米国の大手パソコンメーカーコンパックも日本市場に参入、1992年10月に従来の日本のパソコンの半分程度の価格で同等の性能を実現するPC/AT互換機を発売し、後に「コンパックショック」と呼ばれる市場に衝撃を与える出来事となった[4]。これによって、日本のメーカーはパソコンの価格の見直しを迫られ、外資系のメーカーもコンパックに引き続き日本市場に次々と参入していった[4]

そして、1995年発売のマイクロソフトのOS「Windows 95」が日本で社会現象を引き起こすなどPC/AT互換機は日本で次第に普及が進んでいき、これまで独自仕様のパソコンを発売していた日本の家電メーカーも次第にPC/AT互換機の製造・販売へと転換していった[4][21]。日本電気についても1990年代半ばには、日本のパソコン市場でのシェアが50パーセントを割り、1997年には、マイクロソフトとインテルが提唱した世界標準仕様「PC97/PC98システムデザイン」を採用した「PC-98NX」シリーズの展開を始め、独自仕様のパソコンの展開から撤退するまでに至った[4][22]

そして、1990年代後半以降、日本で販売されるパソコンの多くがビジネス用途からホビー用途まで、1台で多目的に使えるアップルコンピュータの「Macintosh」と「Windows」を搭載するPC/AT互換機へと収束する中で、「ホビーパソコン」という概念は次第に日本から廃れていった[2]

ホビーパソコン一覧

主なメーカー別に主要な機種シリーズを記載する。ここでは狭義のホビーパソコンだけではなく高価格帯の広義のホビーパソコンについても記載する。

日本国内

日本電気

同社の製品は研究開発、ビジネス、個人のホビーまで幅広い用途で利用された。シリーズ型番に共通する「PC」は「パーソナルコンピュータ」の略であり、「パソコン」という呼称の普及にも影響を与えた[23][注 4]

PC-8000シリーズ
同社初のパソコン[23]。Z80Aを搭載し、周辺機器や利用者制作のソフトウェアが多数提供された。PC-8001は広く普及し、その後、グラフィック機能などを向上させたmkII、mkIISRなどの後継機が発売された。後継機の時期には、利用者の一部がPC-8800シリーズやPC-9800シリーズへ移行した。
PC-8800シリーズ
PC-8001との上位互換性を持ち、多数のソフトウェアが提供された。初代はPC-8001向け資産を利用できるビジネス向け上位機として位置付けられ、mkII以降はホビー用途も想定してグラフィック・サウンド機能やフロッピーディスクドライブを強化した。初期モデルは角張った筐体を採用し、後期のFEシリーズなどでは曲線を取り入れたデザインも採用された。末期にはZ80A互換機能を持つ16ビット機、PC-9800シリーズとPC-8800シリーズを一体化したモデル、CD-ROMを搭載したモデルなどが発売された。
PC-6000シリーズ/PC-6600シリーズ
NEC子会社の新日本電気株式会社が開発したシリーズである。「パピコン」の通称で知られたPC-6001は、家庭用テレビへの接続を前提とし、8色カラー表示、ひらがな表示、PSG音源、ジョイスティックインターフェースを備えた。すがやみつるのパソコン入門漫画『こんにちはマイコン』でも扱われた。後継のPC-6001MkIIでは筐体デザインを変更し、価格を5000円引き下げ、イメージキャラクターに武田鉄矢を起用した。さらにPC-6001mkIISRでは表示機能と音声合成機能が強化された。
PC-6600シリーズはPC-6000シリーズの上位機種として、3.5インチフロッピーディスクドライブや音声合成機能を搭載した。後継のPC-6601SRは、セパレート型筐体や本体色のバリエーションを採用した。シリーズはその後終了した。
PC-9800シリーズ
「98」と略称された。事務用途向けとして開発されたが、ホビー用途にも利用され、国内市場で大きなシェアを占めた。NECはPC-9800シリーズをWindows向けに発展させたPC-9821シリーズを発売し、独自設計を継承した。派生製品には、マルチメディア機能を重視した家庭向けシリーズ「98MULTi CanBe」がある。
Windows 95の普及まで、PC-9800シリーズはビジネスからホビーまで幅広い用途で利用された。

富士通

FM-8/FM-7シリーズ/FM-77シリーズ
FM TOWNSシリーズ

シャープ

MZシリーズ
X1シリーズ
X68000シリーズ

日立製作所

ベーシックマスターシリーズ

東芝

パソピア(後継機のパソピア7、パソピア5など)

松下通信工業株式会社・電卓事業部(ナショナル)

JR-100
JR-200

ソニー

SMC-70
SMC-777/SMC-777C

トミー

ぴゅう太

ソード(タカラ)

M5(タカラゲームパソコンM5)(M5 Jr.、M5 Pro)

バンダイ

RX-78 GUNDAM

セガ

SC-3000
Segaが1983年に発売。Z80を搭載したキーボード一体型コンピュータで、別売BASICカートリッジが必要だった。ディスクドライブ、通信機能、プリンタポート、RS-232Cシリアルポートを備えた拡張ボックスも発売された。教育ソフトも販売された。SCは「Sega Computer」。
SG-1000は、SC-3000のキーボードを省略したゲーム向けモデル。SGは「Sega Games」の略である。
SC-3000・SG-1000は、ファミリーコンピュータと同じ1983年7月15日に発売された。
セガはSC-3000HやSG-1000IIなどの改良機を発売し、海外でも展開した。その後の製品系列はセガ・マークIIIセガ・マスターシステムメガドライブへ移行し、ゲーム専用機として展開された。ツクダオリジナルのオセロマルチビジョン、パイオニアのSD-G5などの互換機がある。

カシオ

PV-2000

任天堂

ファミリーベーシック

その他

SANYO
PHC-8000は三洋電機ビジネス機器が1982年4月26日に発売したハンドヘルドコンピュータ(価格69,800円)。PHC-10は同年5月1日に発売されたポケットコンピュータ(価格24,800円)。PHC-20は5月25日に発売された、モニタに接続できるよう改良されたコンピュータ(価格47,800円)。PHC-25は同年6月25日に発売された(価格69,800円)[24]。PHC-25は新日本電気から技術供与を受けて開発された機種で、同社のPC-6001とはBASICレベルではある程度の互換性があり、RAM容量やサウンド機能などスペック的に下回る部分があった[25]。同製品の兄弟機として日野電子のCEFUCOM-21、SEIKOのMAP-1010がある。1983年秋には三洋電機特機から5インチFDDを一基搭載したCPUが8088の16ビット機MBC-55が発売された(178,000円)。同機はCP/M-86が付属しキーボードと本体を分離した一方で、家庭用テレビとの接続やジョイスティックもサポート、発売と同時にゲームソフトを発売するなどホビー向けも意識していた[26][27]。同時期の1983年10月25日には三洋電機本体からPHC-10(WAVY10)が74,800円で発売されて、MSXファミリーとなった[28][29]
三菱電機
MULTI 8 - CPUがZ80、テキスト画面は80×25、グラフィック画面は640×200ドット8色、PSG音源という当時の8ビットホビーパソコンの標準的なスペックで、価格は123,000円。特徴としては、PC-8001のN-BASICと中間言語がほぼ同一のため、カセットテープに記録されたPC-8001のBASICプログラムが読み込め、完全互換ではないもののマシン語を使わないBASICレベルなら少々の修正で動いた[30][31][32]。三菱電機は3ヶ月後の1983年10月25日からMSX仕様のパソコンML-8000を発売し[33]、MULTI 8は短命に終わった。

米国のもの

コモドール

コモドール PET 2001
コモドール VIC-20(日本での販売名「VIC-1001」)
1980年12月発売。カラーグラフィックと3音のサウンド機能を搭載し、価格は69,800円だった。標準RAMは5KB、テキスト表示は横22文字。米国ではROMカートリッジによるゲームやモデムが発売され、ゲーム機やパソコン通信端末として利用され、250万台以上を販売した。
マックスマシーン(ドイツでの販売名「VC-10」)
日本向けに開発されたとされ、1982年11月に34,800円で発売された。ヤシ・テラクラ(寺倉康晴)が開発し、BASICやソフトウェアはカートリッジで提供された。外部接続端子が限定され、ゲーム用途を重視した構成だった。日本向けゲームはHAL研究所が開発した。「Ultimax」の名称で日本国外へ展開する構想もあったとされるが、日本国外での販売例は限られている。
コモドール16/116
コモドール64(開発名「VIC-40」)
コモドール64(C64)は1982年に発売され、1993年の販売終了までに1,250万台から1,700万台を販売したとされる。1983年から1986年には年間200万台以上を販売し、30%から40%の市場シェアを占めた。電機店に加えてデパートや玩具店でも販売され、北米の家庭向けパソコン市場で広く普及した。低価格戦略は同時期のゲーム専用機市場にも影響を与えたとされ、NESやSega Master Systemが北米で展開される以前には、ゲーム用プラットフォームとしても大きな市場を形成した。
1995年に「C64」を生産終了すると宣言したが、前年の1994年4月にコモドール社は倒産した(後述)。
販売終了までの派生機に、「64C」「Commodore 64 Games System」などがある。
日本では1982年末にカタカナキーボードを備えた日本語版が99,800円で発売されたが、国内向けソフトウェアは少なかった。海外向けソフトを使用すると文字表示に互換性の問題が生じる場合もあった。1983年のファミリーコンピュータ発売以降、日本の低価格家庭向け市場ではゲーム専用機とMSXが普及し、C64の国内展開は限定的となった。
コモドール128
C64との互換性とCP/Mへの対応を特徴として発売された。
Amiga
Amigaは開発者と投資家のグループによって開発されたが、資金面の問題からコモドールが開発会社を買収し、1985年にAmiga 1000を発売した。後に発売された低価格モデルAmiga 500は欧米で広く普及し、ゲーム雑誌『Commodore User』は1990年に『CU Amiga』へ改題した。日本ではAmiga 1000がCGやアニメーション制作に利用され、Amiga 500などは日本のパソコンへ移植されていない欧米製ゲームを利用する目的でも購入された。
Amiga製品として、ほかにAmiga 2000、Amiga 3000、Amiga 1200がある。
コモドール CDTV
1991年発売のマルチメディア機で、Amiga 500を基礎にCD-ROMドライブとリモコンを組み合わせた。Amigaブランドを製品名に用いなかったことや市場規模が限られたことから販売は伸びず、その後Amiga 500向け外付けCD-ROMドライブも発売された。コモドールは1993年にAmiga 1200を基礎とするAmiga CD32を発売してCDTVの販売を終了し、1994年に経営破綻した。
タンディ・ラディオシャック
テキサスインスツルメンツ
アタリ
アップル
Apple II

イギリスのもの

参考文献

  • 日本の電子計算機編集専門委員会 編『日本の電子計算機 1983』日本電子工業振興協会、1983年9月。doi:10.11501/12626514
  • 前田尋之『ホビーパソコン興亡史』(Kindle版)オークラ出版、2014年10月25日。ASIN 978-4775523285
  • 山田昭彦「パーソナルコンピュータ技術の系統化調査」『技術の系統化調査報告』第21集、国立科学博物館、2014年3月、219-319頁。
  • タイニーP「「ホビーパソコン」とは何だったのか?その歴史をその言葉の始まりから調べてみた」『電ファミニコゲーマー』2023年11月22日。

脚注

関連項目

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