ボルボ・240
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240は140同様にヤン・ヴィルスガールドによってデザインされ、特にキャビンより後方は共通であったが、1972年に試作車が公開された実験安全車ボルボ・VESC(Volvo Experimental Safety Car )で試みられた多くの安全対策が実用化されている。具体的には前後の衝撃吸収ゾーンの拡大(そのために前輪サスペンションをストラット式サスペンションに改め、エンジンベイを拡大した)、ステアリング機構のラック・アンド・ピニオン方式への変更による操縦性改善などである。また、上級モデルには4気筒車としては初めてパワーステアリングが装備された。なお、衝撃吸収ゾーン拡大の目的で全長が伸ばされ、4,700mmを超えたため、2,300ccエンジンだった初期モデルから日本では3ナンバー登録車となった。1989年~90年初期に販売されたセダンモデルはGLグレードのみの販売という事情もあり、創業者の一人グスタフ・ラーソンにちなんで「ラーソン」の愛称で親しまれた。
沿革
242/244/245
1974年秋、1975年モデルとして2ドアセダンの「242」(L・DL)、4ドアセダン「244」(DL・GL)、5ドアワゴン「245」(L・DL)の3本立てで登場した。エンジンは1974年モデルの144と同じOHVのB20型(LとDL)と、新しいSOHC2,127ccのB21型(DLではシングルキャブで97馬力、GLは燃料噴射で123馬力)の2種類であったが、アメリカ及び日本向けは排気ガス対策のため、DLもGL同様に燃料噴射で、1975年モデルのみB20型であった。
1976年モデルではB21Aエンジンの出力がカムシャフトの改良で100馬力に引き上げられ、 242Lと245L以外ではオーバードライブ5速MTが選択可能となった。
1977年モデルではLambda Sondと呼ばれる酸素センサーが追加され、燃費や動力性能を維持しながら排気ガスの浄化が図られた。
1978年には固められたサスペンションとスポーティな内外装を持つ「242GT」が追加された。同年より日本向け輸出車は当時世界一厳しいと言われた「昭和53年排気ガス規制」の輸入車初の適合車となった。
1979年にはヘッドライトが角型に改められ、トランク部分のデザインも改められた。同時に、フォルクスワーゲン製5気筒2,000cc69馬力・6気筒2,400cc82馬力のディーゼルエンジン搭載車も追加された。
1981年、ターボチャージャー付きのB21ETエンジンを搭載した「244ターボ」が登場し、2ドアセダンやエステートにも追って同エンジン搭載車が追加された。ターボモデルの4速ATには日本のアイシン製が採用された。
240シリーズ
1983年、モデルごとにドア数を表す最後の数字が0に統一され、全車「240」と呼ばれることとなった。
1984年、2ドアセダンが生産終了。
1985年、740の登場に伴いターボモデルが移行し、DLからGL・GLTまでの中・下級グレードのみに整理され、「ポラール」(Polar)や「SE」などの特別仕様車も多く発売された。エステートの人気はこの頃から高まり、240の総生産台数の3分の1以上がエステートであった。
1990年にはエアバッグが、1991年にはABSが装備されるなど、安全対策は時代とともに進化を続けた。
1993年、前年に登場した5気筒エンジン搭載の前輪駆動車・850の生産が本格化すると、最終モデル「クラシック」の1,600台限定生産を最後に240シリーズは生産を終了した。




