ポール・バード
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 | 1970年12月3日(54歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1991年 ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 1995年7月28日 |
| 年俸 | $7,500,000(2008年)[1] |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
| |
ポール・バード(Paul Gregory Byrd, 1970年12月3日 - )は、MLBの右投右打の投手。アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル出身。
1972年にケンタッキー州ルイビルで生まれ育ったバードは、周囲がアメリカンフットボールやバスケットボールをしているなか、野球ばかりやっていたという。シンシナティ・レッズのファンで、ジョニー・ベンチに憧れていた[2]。高校卒業時の1988年、シンシナティ・レッズからドラフト13巡目で指名されたが[3]、ルイジアナ州立大学へ進学。大学では3年連続でメンズ・カレッジ・ワールドシリーズに出場し[2]、1991年のドラフトでクリーブランド・インディアンスから4巡目で指名され入団[3]。
1994年11月18日にトレードでニューヨーク・メッツへ移籍[3]。1995年7月28日にメジャーデビュー。メッツでは2年間所属し、全てリリーフで55試合に登板。1996年11月25日にアトランタ・ブレーブスへトレード移籍し、1998年8月14日にウェイバー公示を経てフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[3]。
1999年に先発ローテーションに入り、15勝を記録。2001年6月5日にホセ・サンティアゴとのトレードでカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍[3]。バード独自のワインドアップ投法を取り入れた2002年には17勝を記録。シーズン終了後、フリーエージェントを宣言したバードに対し、投手再編を迫られたアトランタ・ブレーブスが2年総額1,000万ドルを提示して獲得[2]。
2003年のスプリング・トレーニングで1イニングを投げた時点で右ひじに違和感を覚え、故障者リスト入り。その後、トミー・ジョン手術を受けた。2003年は全休、2004年も19試合の登板で8勝7敗にとどまった。ブレーブスでは期待外れの成績に終わったが、グレッグ・マダックスらメジャー最高の先発投手やレオ・マゾーニーと出会い、コントロールの大切さを学んだという[2]。
2005年はロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムで12勝11敗を挙げ、2006年からは古巣のインディアンスでプレイ。2007年は15勝8敗を記録したが、ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ最中の10月21日にサンフランシスコ・クロニクルがパードが2002年から2005年にかけて成長ホルモンを使用したことを報じた[4]。バード本人は「目的は脳下垂体腫瘍の治療のため、医師の管理のもとに使用した」と使用を認めた[5]。12月13日に発表されたミッチェル報告書にパードの名前が記載された。
そして、2008年8月12日に後日発表選手との交換トレードでそのレッドソックスへ移籍した[6]。
2008年7月1日には、著書『フリー・バード』が発売された。バード自らがクリスチャンとして成長してきた過程がつづられ、元チームメイトのジョン・スモルツが序文を書いている。
2008年シーズン終了後にフリーエージェントとなったバードは、2009年1月14日に家族と過ごすため、開幕時はどこのチームと契約しないことを明らかにし、プレーする場合はシーズン後半に契約することになるだろうとの意向を示した[7]。8月5日にレッドソックスとマイナー契約を結んだ[8]。8月30日にメジャーへ復帰[9]。同日のトロント・ブルージェイズ戦で先発投手として6回を無失点に抑え、復帰戦を勝利で飾った[10]。