マウレタニア
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ローマ領マウレタニア


カルタゴがローマ帝国に敗れるとマウレタニアはローマの属国とされ、ヌミディアのユバ2世が属王とされた。23年にユバが死ぬと、ローマで教育された息子のマウレタニアのプトレマイオスが後を継いだ。プトレマイオスは40年にカリグラに殺された。クラウディウスは44年に勅令でマウレタニアを勅任総督によるローマ属州とした。
マウリ人の王統も維持され、忠誠や秩序の維持に利用された。キプリアヌスは247年に「マウリ人は実際に王を崇拝し、偽装して名前を隠そうともしない」と記した[3]。
クラウディウスはマウレタニアを現代のオランの西60kmのムルヤ川でマウレタニア・カエサリエンシスとマウレタニア・ティンギタナに分けた。
- マウレタニア・ティンギタナ - 首都ティンギス(今日のタンジール)から名付けられた今日のモロッコ及びスペイン領地域。
- マウレタニア・カエサリエンシス - 今日のアルジェリア北西部。
マウレタニアからはエクィテス出身の一人の皇帝マクリヌスが出た。マクリヌスは217年にカラカラを暗殺して権力を掌握し、翌年ヘリオガバルスに敗れ処刑された。ディオクレティアヌスのテトラルキアの時代の293年にはカエサリエンシス東部がシティファを首都とするシティフェンシスに分割された。
ノティティア・ディグニタートゥム(400年頃)にはアフリカ管区のウィカリウスに2つ、ヒスパニア管区のウィカリウスにいくつかの記述がある。
- ヌミディア及びマウレタニア王ユバ2世
- ティパサ (アルジェリア) にあるジュバ2世の墓