マキシ・グナウク

From Wikipedia, the free encyclopedia

フルネーム ドイツ語: Maxi Gnauck
国籍 ドイツの旗 ドイツ
旧国籍 東ドイツの旗 東ドイツ
生年月日 (1964-10-10) 1964年10月10日(60歳)
マキシ・グナウク
1983年10月27日、世界選手権ブダペスト大会でのマキシ・グナウク。
選手情報
フルネーム ドイツ語: Maxi Gnauck
国籍 ドイツの旗 ドイツ
旧国籍 東ドイツの旗 東ドイツ
生年月日 (1964-10-10) 1964年10月10日(60歳)
生誕地 東ドイツの旗 東ドイツ 東ベルリン
身長 148 cm
体重 33 kg[1]
種目 体操競技
得意種目 段違い平行棒
代表 東ドイツの旗 東ドイツ
所属 SCディナモ・ベルリン
引退 1986年
獲得メダル
オリンピック
1980 モスクワ段違い平行棒
1980 モスクワ個人総合
1980 モスクワ団体総合
1980 モスクワゆか
世界体操競技選手権
1979 フォートワース段違い平行棒
1981 モスクワ跳馬
1981 モスクワ段違い平行棒
1981 モスクワ平均台
1983 ブダペスト段違い平行棒
1979 フォートワース個人総合
1979 フォートワース団体総合
1981 モスクワ団体総合
1983 ブダペスト団体総合
ヨーロッパ体操競技選手権
1981 マドリード個人総合
1981 マドリード段違い平行棒
1981 マドリード平均台
1981 マドリードゆか
1985 ヘルシンキ段違い平行棒
1979 コペンハーゲン跳馬
1981 マドリード跳馬
1985 ヘルシンキ個人総合
1979 コペンハーゲン段違い平行棒
テンプレートを表示

マキシ・グナウクドイツ語: Maxi Gnauck, 1964年10月10日 - )は、ドイツ民主共和国(通称:東ドイツ、現ドイツ連邦共和国)の元女子体操競技選手。五輪大会世界体操競技選手権FIG体操ワールドカップヨーロッパ体操競技選手権で合計27個のメダルを獲得し[2]、ドイツが生んだ最高の女子体操競技選手の一人と考えられている。

生い立ち

1964年10月10日、グナウクは東ベルリンで生まれた[1]。両親は男の子が生まれると思っていたのでマックス(max)と名付けるつもりでいたが、女の子が生まれたためmaxに「i」を付け足してマキシ(maxi)という名前をつけた[3]。5歳のときに体操を始め、3年後にクライススパルタキアード大会で初のメダルを獲得[2]。後に所属クラブをSCディナモ・ベルリンに変更し、そこではコーチであるユルゲン・ヘリッツの指導を受けた[2]

競技生活

1977年に初めての全国大会となる東ドイツジュニア選手権で個人総合で5位に入り[2]、翌1978年日本名古屋市で開催された中日カップに出場して4位になった[4]1979年5月のヨーロッパ選手権コペンハーゲン大会に初出場して個人総合で6位[5]跳馬銀メダル段違い平行棒銅メダルを獲得[6]。同年11月の世界選手権フォートワース大会では初出場ながら個人総合で接戦の末、ソビエト連邦ネリー・キムに次ぐ銀メダルを獲得[7]、段違い平行棒では金メダルを獲得した[8]1980年モスクワ五輪では個人総合でルーマニアナディア・コマネチと同点で銀メダルを獲得[9]、種目別でも段違い平行棒で金メダル、ゆかで銅メダルを獲得した[10]。また、団体総合では東ドイツの銅メダル獲得に貢献した[11][12]。これを受けて同年、東ドイツの新聞『ユング・ヴェルト』紙上での投票によりスポーツウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれた[1][13]

その翌年の1981年はグナウクにとって最高の年になった。ヨーロッパ選手権マドリード大会で、個人総合、段違い平行棒、平均台、ゆかで金メダルを獲得し[14][15]、跳馬でも銀メダルを獲得[15]。世界選手権モスクワ大会でも跳馬、段違い平行棒、平均台で金メダルを獲得した[16]1982年のワールドカップ・ザグレブ大会では段違い平行棒で金メダル、ゆかで銅メダルを獲得し[17]1983年世界選手権ブダペスト大会では段違い平行棒で金メダルを獲得した[18]1984年ロサンゼルス五輪には東ドイツが大会をボイコットしたため出場できなかったが、1985年のヨーロッパ選手権ヘルシンキ大会では個人総合で銀メダル[19]、段違い平行棒で金メダルを獲得した[20]

グナウクはアクロバティックな演技に優れ、段違い平行棒においては当時、世界最高の選手の一人だった[2]。また、女子体操競技のゆかで史上初めて3回ひねりを成功させた選手の一人でもある[2]

競技生活引退後

1986年4月、正式に引退を表明し、ライプツィヒ大学で4年間スポーツコーチングを学んだ[3]。在学中の1988年にウォータースライドで転倒し、C5椎骨を骨折した[2]。怪我の状態は深刻であり、後に椎骨は金属板で補強された[2]ドイツ再統一後は競争が激しくなり、1990年に初めて南アフリカ英国でそれぞれ2 - 3か月間、一時的にコーチを務めた[1]1993年から2004年までハンブルク近郊のノルダーシュテットにあるハークサイド体操センターでコーチを務め[1]2005年からはスイス・リーステルの体操センターでコーチを務めた[1]2000年国際体操殿堂入りし[21]、ドイツの体操競技選手として初の殿堂入りとなった[1]

オリンピック大会以外での成績

大会 個人総合 団体総合
1979ヨーロッパ選手権
東ドイツ選手権
世界選手権
1980ワールドカップ
1981ヨーロッパ選手権
東ドイツ選手権
世界選手権
1982東ドイツ選手権
ワールドカップ
1983世界選手権
1984東ドイツ選手権
1985ヨーロッパ選手権

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI