マケドニアの民族間暴力
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| 2012年マケドニア旧ユーゴスラビア共和国の民族間暴力 | |||
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アルバニア人抗議者たち。「私はムスリムであり、テロリストではない」と書かれたプラカードや、シャハーダが記された緑や黒の旗を掲げている。 | |||
| 日時 | 2012年1月14日 – 2012年5月11日 (3ヶ月3週6日間) | ||
| 場所 | マケドニア旧ユーゴスラビア共和国(現北マケドニア共和国) | ||
| 参加集団 | |||
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| 死傷者数 | |||
| 死者 | 7人 | ||
| 負傷者 | 10人[1] | ||
2012年マケドニア共和国の民族間暴力(2012ねんマケドニアきょうわこくのみんぞくかんぼうりょく)は、2012年初頭に発生した、マケドニア共和国(現北マケドニア共和国)のアルバニア系住民とマケドニア系住民が関与した紛争である。
2012年2月から3月にかけ、マケドニア共和国全土において民族・宗教間の対立が激化し、暴力事案が相次いだ。
2月28日、北マケドニア西部ゴスティヴァルにおいて、ある警官が2人のアルバニア系住民を射殺した。警官の主張によれば、駐車場所の変更を拒否したことでアルバニア人たちから襲撃を受けたためとしている[2]。
3月7日、首都スコピエにおいて、バスに乗っていた5人が暴行を受けた[3]。
3月10日、スコピエとテトヴォで数件の暴力行為が記録された。スコピエでは、アルバニア系の若者グループが66歳の男性に暴行を加えた。さらに、ヴァルダル川に架かる木造の橋が放火された[1]。テトヴォでは、アルバニア系住民が16歳の少女に暴行を加えた[4]。また、警官1名が身体的暴行を受けた。一連の事件で5人が逮捕された[1]。
4月12日夜、スコピエ近郊において、4人の若者が処刑される事件が発生した。直後に5人目の男性も殺害されたが、これは彼が現場を目撃したためと考えられている。死者はいずれもマケドニア系であることが確認され、直後に反アルバニア抗議デモが勃発した[5]。
宗教的衝突
マケドニア人による抗議
マケドニア共和国の多くの都市や村で多数の抗議活動が組織された。そのうち2か所で暴力事態に発展した。一つは被害者の出身地であるスミルコヴツィ村であり、もう一つはスコピエ市である。
スコピエの抗議デモは若者たちによって組織された。参加者らはアルバニア系が多数を占めるサライ自治体への行進を試みた。デモ隊は警察によって阻止され、警察とデモ隊の間で10分間にわたる衝突が発生した[7]。デモ隊は「良い『シュキプタル(アルバニア人の蔑称)』は死んだシュキプタルだ」「シュキプタルにガス室を」といった反アルバニア的なスローガンを叫んでいたと記録されている[8][9][10][11]。
もう一つの大規模な平和的抗議活動がビトラで行われ、マケドニア系デモ隊がメインストリートのシロク・ソカクを行進し、ビトラの時計塔の下で犠牲者のためにロウソクを灯した。この抗議活動はサポーター団体のチュケンバリによって組織されたと言われている[12]。