マシャード・デ・アシス
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1839年にブラジル帝国の首都リオ・デ・ジャネイロで生まれる。彼の父親フランシスコ・ジョゼ・デ・アシスはムラートの画家で、母親のマリア・レオポルディーナ・デ・アシスはアソーレス諸島出身だった。彼はブラジル文学で最も重要な作家として認められているが、生前は有名にならなかった。
彼の母語はブラジルポルトガル語だったが、初等教育を終えただけの身でありながらも教会で習ったラテン語に加えて英語やフランス語を独学で学び、ウィリアム・シェイクスピア、ディケンズ、ダンテ、ソフォクレス、セルバンテス、ショーペンハウアーなどから影響を受けた[1]。フランス文学の影響が強かった当時のブラジルの作家としては例外的に、アシスは英文学の影響を強く受けた。
見習い印刷工から出発し、新聞記者、編集者などを経て25歳で処女詩集『さなぎ』(1864)を出版した[2]。1873年に農務省に入省して公務員となり、安定した経済的基盤を基に執筆活動を続けた。
1896年にブラジル文学アカデミーを設立し、初代会長となった。彼の代表作は『ブラス・クーバス死後の回想』(Memórias Póstumas de Brás Cubas)や、1899年に発表された『ドン・カズムーロ』(Dom Casmurro)である。


