マダガスカルにおける蚕

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(左)「ランディベ」ことマダガスカルトゲマユカレハ(Borocera madagascariensis)。ジャン・バティスト・ボワデュヴァルにより1833年に描画。左が雄、右が雌。(右)ランディベ(Borocera sp.)の幼虫。

マダガスカルにおける蚕(マダガスカルにおけるかいこ)はランディマダガスカル語: landy)と総称される。マダガスカルではボロセラ属英語版をはじめとするさまざまな種の蚕糸が、ランバ(Lamba)とよばれる織物の素材として古くから利用されてきた。

19世紀マダガスカルを統一したメリナ王国において、絹織物は王侯貴族の着衣として重用され、製糸や養蚕、製糸、製織を専業とする氏族が成立した。また、民間においても遺体を包む屍衣や祖先に捧げる布としての儀礼的使用がおこなわれた。メリナ王権で確立した野蚕・家蚕の生産システムはフランスによるマダガスカルの植民地化後も維持され、この時代、着衣としての絹織物はメリナ人を中心に民間人の正装として普及した[1]

マダガスカルの独立後、それまで敷かれていた森林保護政策が失われると、蚕の餌となるタピア林が減少し、野蚕の価格は急騰した。このことにより、屍衣としての絹織物の生産は低調になったが、一方で、絹織物は中産階級の衣服として依然として人気である。また、観光客の増加と欧米における天然繊維への関心の高まりが影響し、海外向け絹製品の市場も成立している[1]

タピアの木に付着したマダガスカルトゲマユカレハの繭。

マダガスカル語で蚕はランディと呼ばれる。ランディは大きく野蚕のランディベ(Landi Be、「大きな繭」)と、家蚕のランディケリ(Landi Kely、「小さな繭」)に分類される[2]

マダガスカルの野蚕のうち、もっとも代表的なのはマダガスカルトゲマユカレハBorocera madagascariensis)やボロセラ・カジャニ英語版Borocera cajani)、ボロセラ・マルジネプンクタタ(Borocera marginepunctata)などのカレハガ科ボロセラ属英語版の蛾であり、単に「ランディベ」という場合はこの種を指すことが多い[3][4]。ランディベはおもに中央高地に生息し、タピアの葉を食餌とする[1]。また、マダガスカルにはシャチホコガ科ヒプソイデス属(Hypsoides)の一種と考えられるサランガ(Saranga)やブドゥルケ(bodoroke)、学名の同定が不明確なグナラ(gonara)といった、様々な野蚕がいる[2]。サランガとブドゥルケは北東部から東部にかけて、グナラは西南部に生息し[1]、いずれもランディベの個体数減少をうけて積極的な利用がはじまったと考えられている。グナラの糸はランディベの糸より黒く、光沢もなく、手触りも悪いため安価で取引される。サランガの生地は白く美しいため高値で取引される。ブトゥルケはサランガを扱う業者がわずかに取り扱う[3]

ランディケリこと家蚕は、19世紀にインド中国日本フランスなどの各所から導入された。これらの家蚕は、交雑を繰り返し土着化している。これをランディガシ(Landi Gasy)と呼ぶ。ランディガシは近年、日本やタイから導入された大型重量の家蚕種に置き換えられつつある[1]

利用

絹織物

(左)ファマディハナの様子。故人がランバで包まれている。(右)ランバを羽織るヒラガシ英語版演者。

マダガスカルでは「ランバ」とよばれるまとい布が伝統衣装として用いられている。絹糸は、牛革豚革ラフィア木綿などと並ぶランバの材料のひとつであるが[5]、特に、絹という素材は高貴なものとして扱われてきた[2]

染色された野蚕糸で織られた縞模様のランバは、歴史的には中央高地を中心に、ほぼ全土の王侯貴族や首長によって特権的な衣服として用いられてきた[2]。また、マダガスカルでは、蚕自体が神を意味するアンヂアマニチャ(andriamanitra)の名で呼ばれることもある[2]。マダガスカルの年配者にはファマディハナ(後述)などの影響もあり、絹のランバを貴族や年長者のみが着衣できるものであると考えているものもいる[6]

マダガスカル人は、故人の遺骸を包む際に野蚕布を用いる[7][8]。また、彼らは遺骸を5年から10年置きに掘り返し、ランディベの糸で織られた屍衣を取り替える。この風習をファマディハナもしくはファムヌサン・ヂャザナ(famonosan-drazana)と呼ぶ[7][9]。赤く染められた屍衣のことをランバメナ(lambamena)と、その上にかぶせる明るい色の屍衣をランバランディ(lambalandy)と呼ぶ[10][6]。ランバメナは王の衣装としても用いられる[4]。ファマディハナの風習は、並行する霊的世界に存在する者たちが生者の世界と絶えず交流するという、マダガスカルの先祖崇拝の重要な部分を構成している[6]。屍衣で遺体の身を包む風習は故人に敬意を示すためのものであり、これをおこなわないことは遺体を裸にし、人間としての地位や尊厳を奪う行為であるとみなされる[6]

中央高地では、野蚕布が死者の衣装である一方で、家蚕布は生者の衣装というイメージが浸透している。女性は、教会や儀式に赴くときの正装として、ランバフィタフィ(lambafitafy)とよばれる、白い生糸でモチーフを織りだした家蚕布のショールを羽織る。また、布全面に緯糸浮き織りでモチーフを織り入れたランバ・アクティファハナも、結婚式の儀礼やファマディハナで用いられる。かつてのメリナ王国では鮮やかで精巧な絹織物がつくられたものの、現代のマダガスカルでそうした織物は下火であり、ほとんどは、生糸で文様を織り入れた単色の織物である[4]

食用

(左)ランディベの蛹。(右)ランバの織り手。

マダガスカル人は野蚕・家蚕のいずれについても、蛹を食用に供する。ランディベの蛹は5月から6月、11月から12月の間、ランディケリの蛹は6月を除いて通年採取される[11]。これらの蛹は、揚げて軽食として、あるいは鶏肉や米とともに食事として食べられたりする[12]

産業

2012年の研究によれば、マダガスカルではおよそ10,000世帯が絹産業に関与しており[7]、養蚕農家・繭の仲買人・製糸業者・製織者などが生産と流通のネットワークを形成している[4]

ランディベの絹織物は、その希少さから数メートルでも100ドルから200ドルで取引される[10]。おなじランディベでも生息地によって繊維の色と質は異なり、繭が白く大きいほど市価は高まる。もっとも上質な繭がとれるといわれているのはラヌヒラ地方英語版にあるイサル(Isalo)であり、この地方の農民はアンバラバウ英語版アンブシチャから来る仲買人のために繭を採集する。彼らは蚕の繭を採集するため森に入るときは鉄製品を携帯しないといった儀礼的慣習を守るほか、繭が採れないときは牛を供犠して神に祈願する[3]

アンタナナリヴ近郊にはメリナ王国時代から養蚕を生業とする氏族がおり、マイツィ英語版のアンヂアマスアリヴ(Andriamasoarivo)氏族は、祖先と伝えられるワニを食べないといった、食のタブーを有するほか、「蚕は死穢を嫌うため、家族に死者が出ると育てている蚕は全滅する」といった養蚕にまつわる言い伝えを保持している[4]

利用史

出典

参考文献

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