マッシミリアーノ・アッレグリ

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ラテン文字 Massimiliano Allegri
生年月日 (1967-08-11) 1967年8月11日(57歳)
出身地 リヴォルノ
マッシミリアーノ・アッレグリ
2024年のマッシミリアーノ・アッレグリ
名前
ラテン文字 Massimiliano Allegri
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1967-08-11) 1967年8月11日(57歳)
出身地 リヴォルノ
身長 183cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1985 イタリアの旗 クオイオペッリイタリア語版 7 (0)
1985-1988 イタリアの旗 リヴォルノ 29 (0)
1988-1989 イタリアの旗 ピサ 2 (0)
1989-1990 イタリアの旗 リヴォルノ 32 (8)
1990-1991 イタリアの旗 パヴィーア 29 (5)
1991-1993 イタリアの旗 ペスカーラ 64 (16)
1993-1995 イタリアの旗 カリアリ 46 (4)
1995-1997 イタリアの旗 ペルージャ 41 (10)
1997-1998 イタリアの旗 パドヴァ 21 (0)
1998 イタリアの旗 ナポリ 7 (0)
1998-2000 イタリアの旗 ペスカーラ 46 (4)
2000-2001 イタリアの旗 ピストイエーゼ 18 (1)
2001-2003 イタリアの旗 アリアネーゼイタリア語版 32 (8)
通算 374 (56)
監督歴
2003-2004 イタリアの旗 アリアネーゼ
2004-2005 イタリアの旗 SPAL
2005-2006 イタリアの旗 グロッセート
2007-2008 イタリアの旗 サッスオーロ
2008-2010 イタリアの旗 カリアリ
2010-2014 イタリアの旗 ACミラン
2014-2019 イタリアの旗 ユヴェントス
2021-2024 イタリアの旗 ユヴェントス
2025- イタリアの旗 ACミラン
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マッシミリアーノ・アッレグリMassimiliano Allegri, 1967年8月11日 - )は、イタリアリヴォルノ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

現役時代

現役時代はミッドフィールダーで、1988-89シーズンにピサでセリエAでの初出場を果たした。1992-93シーズンのリーグ第2節、9月13日のACミラン戦でセリエA初得点を挙げると[1]、同シーズンのセリエAで12ゴールを記録する活躍を見せたが、チームはセリエBに降格した。1993-94シーズンからセリエAのカリアリに移籍して3シーズンプレーした。その後はセリエBやセリエCなど様々なクラブを渡り歩き、2003年に現役引退。

指導者時代初期

2004年より指導者としてキャリアをスタート。2005年からセリエC1グロッセートの監督となるも2006-07シーズンに途中解任。2007年8月、サッスオーロの監督に招聘され、優勝を果たしてセリエB昇格に成功。

カリアリ

2008-09シーズン、セリエAでの監督経験がないまま、セリエAカリアリの監督に就任。開幕後の5連敗で解任も噂されたが、FWロベルト・アクアフレスカジェダ・ネヴェス、MFアンドレア・コッスダニエレ・コンティ、DFパオロ・ビアンコ、GKフェデリコ・マルケッティらの才能を存分に発揮させ、9位という好成績を収めた。この功績を評価され、年間最優秀監督に贈られる「パンキーナ・ドーロ賞」(金のベンチ)を受賞した[2](2010年2月)。コッスやマルケッティはイタリア代表に選出されるほどの活躍を見せている。2010年4月13日、成績不振で解任となった[3]

ACミラン

ACミランを率いるアッレグリ(右)

2010-11シーズンからACミランの監督に就任し、セリエA優勝を果たした。2011-12シーズンは優勝候補筆頭に挙げられたものの、ユヴェントスFCに逆転優勝を許し2位に終わった。2012-13シーズンはズラタン・イブラヒモビッチチアゴ・シウバら主力が移籍するものの、ステファン・エル・シャーラウィらの若手を起用し、UEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位に留まった。2013-14シーズンは不調が続き、2014年1月13日、成績不振により解任された[4]

ユヴェントス

2014年7月、突然辞任 (後にイタリア代表監督に就任) したアントニオ・コンテの後任としてユヴェントスFCの監督に就任。ミラン最終年の成績不振やミラン在籍時代の発言によって、就任当初は批判や反発が強かったが、4試合を残して4連覇となるセリエA優勝を達成、さらにユヴェントスにとって20年ぶり10回目となるコッパ・イタリアを制覇。UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝で前回覇者のレアル・マドリードと対戦。2試合合計3-2で下しユヴェントスを12年ぶりの決勝に導いたが決勝でFCバルセロナに一時1-1の同点にするも1-3で敗北した。このシーズンのパンキーナ・ドーロ賞を受賞している[5]

2015-16シーズン前にはカルロス・テベスアンドレア・ピルロアルトゥーロ・ビダルといった主力を放出する一方、パウロ・ディバラマリオ・マンジュキッチサミ・ケディラアレックス・サンドロフアン・クアドラードといった新戦力を獲得し大幅な血の入れ替えを敢行した。SSラツィオとのスーペルコッパ・イタリアーナは制覇したものの、主力の怪我や新戦力が噛みあわなかったことから、クラブ史上初の開幕からの2連敗や開幕からの10試合で3勝3分4敗という不振ぶりであった。しかし、怪我人の復帰や新戦力がフィットしてきたこともあり、2015年10月31日のトリノFCとのトリノダービーからのクラブ新記録の15連勝で首位に浮上。その後1度の引き分けを挟むと9連勝。3試合を残して4月25日に優勝を決め、セリエA史上4チーム目となる5連覇に導いた。UEFAチャンピオンズリーグでは、6回連続となる決勝トーナメント進出を果たすも、ベスト16で強豪バイエルン・ミュンヘンと対戦。ホームアウェー共に2-2、180分で合計4-4のスコアとなり延長戦にもつれこんだ。しかし、延長戦で2点を決められベスト16で敗退した。2016年5月7日にユヴェントスFCと2018年までの契約延長を発表。年俸は550万ユーロとセリエAの中で最も高額な年俸の監督となった

2016-17シーズン前半戦は首位を走るものの、低調な内容の試合が多かったが、後半戦でゴンサロ・イグアインパウロ・ディバラマリオ・マンジュキッチフアン・クアドラードの4人のアタッカーを並べる「4-2-3-1」のフォーメーションが機能。そのまま首位を走り、2017年5月21日、セリエA史上初となるリーグ六連覇を達成。コッパ・イタリアでは決勝に勝ち進み、2017年5月17日のSSラツィオ戦で2-0の勝利。史上初となるコッパ・イタリア三連覇と3年連続の国内二冠を達成した。UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17では準々決勝でFCバルセロナを二試合合計3-0で破るなどし自身2度目の決勝進出。決勝ではレアル・マドリードとの対戦になったが、1-4で敗戦し三冠達成はならなかった。2016-17シーズン後、2020年まで契約を延長。その後国内リーグは連覇を続けたもの、チャンピオンズリーグに関しては結果を残すことで出来ず、特にクリスティアーノ・ロナウドを加えた2018-19シーズンも準々決勝で敗退するなど、手腕を疑問視される形となり、2019年5月17日に同シーズンで退任することが発表された[6][7]

ユヴェントス(2期)

2021年5月28日、2年間の休息を経て前所属であるユヴェントスFCの監督に就任することが発表された[8][9]

UEFA CL ゼニト・サンクトペテルブルク戦でのアッレグリ(2021年10月)

2022年5月12日、ユヴェントスはコッパ・イタリア決勝でインテル・ミラノと対戦し、延長戦の末に2-4で敗れた。リーグ戦ではスクデット争いから脱落し、イタリア杯の2連覇も逃したことでユヴェントスは2010-11シーズン以来の無冠となった[10]

2023年1月12日にはナポリと対戦するも、1-5の大敗を喫した。ユヴェントスがセリエAで5失点をするのは1993年のペスカーラ戦以来であり、奇しくも30年前のその試合で先制点を決めたのは、ぺスカーラの選手としてプレーしていたアッレグリ自身であった[11]

2024年2月25日、フロジノーネとホームで対戦して3-2の勝利を飾った。これにより、アッレグリはセリエA史上初めて通算獲得勝点「1000」達成。セリエA史上最も多くの勝点を獲得した[12]。 5月15日、コッパ・イタリア決勝でアタランタに1-0で勝利し3シーズンぶりのタイトルを獲得し、アッレグリは同大会において最も優勝回数の多い監督になった[13]。しかし、試合中の行動(審判への侮辱やスタジアムの照明破壊、ユヴェントスのスポーツディレクターに対する無礼な態度など)が問題視されスポーツ裁判所から2試合の資格停止と罰金処分が言い渡された[14]。さらに、17日にユヴェントスは『コッパ・イタリア決勝戦の最中とその後にユヴェントスの価値観や、ユヴェントスを代表する者が守るべき行動と相容れない行為があったとクラブが判断した』との声明を出すとともに解任された[15][16]

ACミラン(2期)

2025-26シーズンより、ACミラン監督に11年ぶりの復帰[17]

エピソード

  • 競馬を好んでおり、5歳の頃から祖父とともに競馬場に通っていたほどである。子供のころ、「ミネソタ」という馬に賭けるのを決めた際にブックメーカーに「その賭けが当たるより君がセリエAの監督になって成功する方が高いよ」と言われた。しかし、見事「ミネソタ」は勝利。その後、監督としてミランやユヴェントスでタイトルを獲得し、両方を実現させたことになる。2021年にユヴェントスがアッレグリの復帰を発表する前にミネソタ州の絵を公式Twitterに投稿してほのめかしたのはこのエピソードにちなんでいる[18]

監督成績

2024年5月18日現在[19]
チーム 就任 退任 記録
勝率
アリアネーゼ イタリアの旗 2003年7月1日 2004年6月30日 381013153035−5026.32
SPAL イタリアの旗 2004年7月1日 2005年5月30日 401315124741+6032.50
グロッセート イタリアの旗 2005年7月19日 2005年10月29日 11263910−1018.18
グロッセート イタリアの旗 2006年4月17日 2006年10月29日 174941918+1023.53
サッスオーロ イタリアの旗 2007年7月17日 2008年5月28日 42236134632+14054.76
カリアリ イタリアの旗 2008年5月29日 2010年4月13日 74271532106113−7036.49
ACミラン イタリアの旗 2010年6月25日 2014年1月13日 179924938303178+125051.40
ユヴェントス イタリアの旗 2014年7月16日 2019年5月26日 2711914337511195+316070.48
ユヴェントス イタリアの旗 2021年7月1日 2024年5月17日 149803435221138+83053.69
合計 8224421901901,301769+532053.77

タイトル

脚注

外部リンク

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