マッシモ・スタノ
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| 個人情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 愛称 | Jetsy | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 全国代表 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 生誕 | 1992年2月27日(34歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| スポーツ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 国 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 競技 | 陸上競技 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 種目 | 競歩 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| クラブ | 黄の炎スポーツクラブ(Gruppi Sportivi Fiamme Gialle) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 成績・タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 自己ベスト | 1:17:45(20kmW、2019年) 2:20:43(35kmW、2025年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
獲得メダル
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マッシモ・スタノ(Massimo Stano, 1992年2月27日[1] - )は、競歩を専門とするイタリアの陸上競技選手。中国・北京で開かれた2015年世界選手権の20km競歩で19位[2]、日本の札幌で開かれた2020東京オリンピックの20km競歩で優勝した[3]。
プッリャ州バーリ県グルーモ・アップラ生まれ、同県パーロ・デル・コッレ育ち。11歳でFiamma Olimpia Paloに所属して陸上競技を始め、当初は中距離走をメインとしていたが、14歳より競歩に転向し、ジョバンニ・ザッケオ(Giovanni Zaccheo)のコーチングを受けた。2011年にスタノは警察官となり、金の炎スポーツクラブ(Gruppo Sportivo Fiamme Oro)に所属した。最初の大きな成果はフィンランド・タンペレで開かれたヨーロッパU23選手権で、当初は4位とされたが、ロシア選手のドーピング違反により銅メダルを獲得した。この成功を受け、パーロを離れてセスト・サン・ジョヴァンニに移り、アレッサンドロ・ガンデリーニ(Alessandro Gandellini)を新しいコーチとした。
度重なる怪我のため、カステル・ポルツィアノへ引っ越し、黄の炎スポーツクラブ(Gruppi Sportivi Fiamme Gialle)のバラックで勤務・トレーニングを開始し、パトリツィオ・ペルセセペ(Patrizio Percesepe)コーチの指導を仰いだ。移動してすぐに結果が現れ、2018年の国内選手権を自己新記録で制し、中国・太倉で開かれた世界競歩チーム選手権3位、ドイツ・ベルリンのヨーロッパ選手権で4位に入賞した。2019年6月にはイタリア新記録となる1時間17分45秒を樹立するが、同年の世界選手権(カタール・ドーハ)は14位に沈んだ。2020年は骨膜炎に苦しみ、世間では新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった。2021年5月16日のヨーロッパ競歩チーム選手権(チェコ・ポジェブラディ)を復帰レースに選び、8位で競技を終えた[4]。札幌で開かれた東京オリンピックの20km競歩では、16km付近より先頭争いを展開し、19km地点でスパートをかけ、金メダルを獲得した[5]。