ハートヴィッヒ・ガウダー
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ガウダーはまず20kmの距離からスタートした。1975年と1976年には東ドイツのチャンピオンとなり、1978年にはトラックでの20000m競歩で1時間24分22秒7のヨーロッパ記録をマーク。1978年のヨーロッパ選手権で7位に終わった後、彼は50km競歩へと距離を伸ばすこととした。そして、1980年モスクワオリンピックでは金メダル獲得を果たす。
4年後の1984年ロサンゼルスオリンピックは、東ドイツがボイコットしたため出場できず、連覇を果たすことはできなかった。
ガウダーはその後も1987年世界選手権で金メダル、1988年ソウルオリンピックでは銅メダル獲得と活躍する。ドイツ統一後も競技を続けていたガウダーであったが、1994年に原因不明の体力低下が彼を襲うようになる。後に、養鶏場において細菌感染したのが原因の心臓病と診断され、心臓移植しか彼の助かる道はないことが判明する。1997年にドナーが現れ、移植手術をうけ、リハビリを経て日常生活に復帰した[1]。
その後、自らの競技経験と闘病生活での経験を活かしたパワーウォークを考案。普及のため日本にもたびたび来日していたが、2020年4月22日、人工透析中に腎不全から心臓発作を起こし死去。65歳没[2]。テューリンゲン州エアフルトの墓地に埋葬され、墓の横には富士山を模した鎮魂の碑が2021年3月に建立されている[1]。
主な実績
| 年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | 50km競歩 | 1位 | 3時間49分24秒 |
| 1981 | ヨーロッパ室内陸上選手権 | グルノーブル(フランス) | 5000m競歩 | 1位 | 19分08秒59 |
| 1981 | IAAFワールドカップ競歩 | バレンシア(スペイン) | 50km競歩 | 2位 | 3時間52分18秒 |
| 1985 | IAAFワールドカップ競歩 | セントジョーンズ(イギリス) | 50km競歩 | 1位 | 3時間47分31秒 |
| 1986 | ヨーロッパ陸上選手権 | シュトゥットガルト(西ドイツ) | 50km競歩 | 1位 | 3時間40分55秒 |
| 1987 | IAAFワールドカップ競歩 | ニューヨーク(アメリカ合衆国) | 50km競歩 | 2位 | 3時間42分52秒 |
| 1987 | 世界陸上選手権 | ローマ(イタリア) | 50km競歩 | 1位 | 3時間40分53秒 |
| 1988 | オリンピック | ソウル(韓国) | 50km競歩 | 3位 | 3時間39分45秒 |
| 1990 | ヨーロッパ陸上選手権 | スプリト(ユーゴスラビア) | 50km競歩 | 1位 | 4時間00分48秒 |
| 1991 | 世界陸上選手権 | 東京(日本) | 50km競歩 | 3位 | 3時間55分14秒 |
