マット・シルビントン
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2013年 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| ラテン文字 | Matthew "Matt" Shirvington | |||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 競技 | 陸上競技 (短距離走) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 種目 | 60m, 100m, 200m | |||||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1978年10月25日(47歳) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 出身地 |
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| 身長 | 183cm | |||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 80kg | |||||||||||||||||||||||||||||
| 引退 | 2008年 | |||||||||||||||||||||||||||||
| 成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||
| オリンピック |
100m 準決勝2組5着 (2000年) 200m 2次予選棄権 (2000年) 4x100mR 準決勝失格 (2000年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 世界選手権 |
100m 準決勝2組6着 (2001年) 200m 2次予選1組7着 (1999年) 4x100mR 3位 (2001年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 地域大会決勝 |
コモンウェルスゲームズ 100m 4位 (1998年) 200m 6位 (1998年) 4x100mR 3位 (1998年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 国内大会決勝 |
オーストラリア選手権 100m 優勝 (1998年 - 2002年) 200m 2位 (1998年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 60m |
6秒52 (1999年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 100m | 10秒03 (1998年) | |||||||||||||||||||||||||||||
| 200m | 20秒45 (1998年) | |||||||||||||||||||||||||||||
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| 編集 | ||||||||||||||||||||||||||||||
マット・シルビントン(Matthew "Matt" Shirvington、1978年10月25日 ‐ )は、オーストラリア・シドニー出身で短距離走を専門にしていた元陸上競技選手。自己ベストは100mが元オセアニア記録の10秒03、室内60mがオセアニア記録の6秒52。2001年エドモントン世界選手権男子4×100mリレーの銅メダリストである。
シルビントンは19歳の若さで10秒0台を複数回記録した最初の白人選手ということもあり[1]、白人選手として初めて10秒の壁を破ることが期待された。しかし、その後は10秒0台を数回記録するものの、9秒台を記録することはできなかった。白人選手初の9秒台は2010年にフランス人のクリストフ・ルメートルが達成した。
1997年
10月11日、シドニーで開催された大会の100mで10秒29(+1.2)のジュニアオセアニア記録(当時)を樹立した[2]。
1998年
9月、ヨハネスブルグで開催されたワールドカップにオセアニア代表として出場すると、男子100mで10秒07(-0.2)をマークして5位に入った[3]。これは1994年にニュージーランドのオーガスティン・ンケティアがマークした10秒11を更新するオセアニア記録(当時)であり[4]、1995年にダミアン・マーシュがマークした10秒13を更新するオーストラリア記録(当時)であった[5]。
同月、クアラルンプールで開催されたコモンウェルスゲームズに出場すると、男子100m決勝で10秒03(-0.1)のオセアニア記録(当時)を樹立。自身が約1週間前にマークしたオセアニア記録を0秒04更新したが、アト・ボルドン(9秒88)、フランク・フレデリクス(9秒96)、オバデレ・トンプソン(10秒00)に次ぐ4位に終わり、0秒03差で惜しくもメダルを逃した[6][7]。男子4×100mリレーでは決勝でアンカーを務め、38秒69をマークしての銅メダル獲得に貢献した[6]。
1999年
3月、前橋で開催された世界室内選手権の男子60mで世界大会デビューを果たすと、予選で6秒52のオセアニア記録を樹立。準決勝は予選のタイムに迫る6秒53で突破し、この種目ではオーストラリア勢初のファイナリストになった[注 1]。迎えた決勝では再び6秒52のオセアニア記録をマークしたが、モーリス・グリーン(6秒42)、ティム・ハーデン(6秒43)、ジェイソン・ガードナー(6秒46)に次ぐ4位に終わり、0秒06差でメダルを逃した[8]。
8月、セビリアで開催された世界選手権に初出場を果たすと、男子100mで準決勝まで進出した。準決勝では同組のフランク・フレデリクスとフレディ・マヨラが棄権したため6人だけのスタートになった。4着までに入れば決勝に進出することができ、もしも決勝に進出すればオーストラリア勢として1983年ヘルシンキ大会のポール・ナラコット以来、史上2人目となる世界選手権同種目でのファイナリスト誕生だったが、シルビントンは2回フライングをして失格になってしまった[9][10]。
2000年
9月、地元シドニーで開催されたオリンピックに初出場を果たすと、男子100mでは前年のセビリア世界選手権に続いて準決勝に進出した。準決勝では4着までに入れば決勝に進出できたが、結果は10秒26(+0.2)の組5着に終わり、4着のアジズ・ザカリとは0秒10差で決勝進出を逃した[11]。
2001年
3月、リスボンで開催された世界室内選手権の男子60mで2大会連続のファイナリストになったが、6秒55の5位に終わった[12]。
8月、エドモントンで開催された世界選手権に出場すると、男子100mでは2大会連続で準決勝まで進出するも、10秒32(-1.7)の組6着に終わり決勝進出を逃した[13]。男子4×100mリレーでは予選と準決勝で1走を務めてラウンド突破に貢献すると、アンカー(アダム・バジル、Paul Di Bella、Steve Brimacombe、シルビントン)を務めた決勝では38秒83をマークし、アメリカ(37秒96)、南アフリカ(38秒47)、トリニダード・トバゴ(38秒58)に次ぐ4位に貢献した[14]。その後、アメリカはリレーメンバーだったティム・モンゴメリのドーピング処分によりメダルが剥奪され、オーストラリアの順位は繰り上がり銅メダルを獲得した[15]。
9月、ブリスベンで開催されたグッドウィルゲームズに出場すると、男子100mで10秒30(-0.3)をマークし、4位のアジズ・ザカリに同タイム着差ありで競り勝ち銅メダルを獲得した。男子4×100mリレーでも1走を務め、39秒12をマークしての銅メダル獲得に貢献した[16]。
2002年
4月、オーストラリア選手権の男子100mで史上初の5連覇を達成した。