マリインスク
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歴史
チュルク語を話すチュリム川タタール人の集落であった。当時は「キーヤ」という名前で、一説によると「銅」や「川」、また別説では「石の多い斜面、崖」を意味する。
その後、1698年にロシアの村となり、モスクワから続く街道上にあった。1856年に市に昇格したのちもキーヤという名であったが、1857年にアレクサンドル2世の妃、マリア・アレクサンドロヴナに敬意を表してマリインスクに改名した。1891年の夏にはシベリア鉄道の建設の視察にのちのニコライ2世が皇太子として訪れた。 マリインスキー地区は主に中央ロシアやウクライナから弾圧を受けシベリアに移住してきた人々によって形成され、彼らのほとんどが農業に従事していた。1858年に3671人だった人口は1897年にはおよそ8500人に、1913年には14000人以上にまで増えた。それに伴ってマリインスクは貿易と輸送の要衝となり、1895年に駅が開設されるとレンガ、陶器、醸造、石鹸等の売り上げは20000ルーブルに達した。また付近では少量ながら砂金が産出し、1897年までの70年以上にわたって2800ポンドが生産された。様々な宗派の教会があったとされているが、そのほとんどは1917年以後に破壊された。
1984年9月18日にマリインスクの南西50kmの地点において地震探査を目的とした10ktの平和的核爆発が行われている。
- 市街(1899)
- 中心部(1899)
- ニコラス大聖堂(1899)
- キーヤ川に架かる橋(1899)
人口
| 人口 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1897[1] | 1931[1] | 1939[1] | 1959[2] | 1967[1] | 1970[3] | 1979[4] | 1989[5] | 1992[1] |
| 8200 | 11200 | 22300 | 40793 | 39000 | 39699 | 39504 | 40956 | 41500 |
| 1996[1] | 1998[1] | 2001[1] | 2002[6] | 2003[1] | 2005[1] | 2006[1] | 2007[1] | 2008 |
| 41100 | 40400 | 39200 | 42977 | 43000 | 42400 | 41800 | 41600 | 41500 |
| 2009[7] | 2010[8] | 2011[7] | 2012[7] | 2013[7] | 2014[7] | 2015[7] | 2016[7] | |
| 41510 | 40526 | 40511 | 40287 | 40092 | 39850 | 39619 | 39332 | |
