エーヌ県のヴィレ=コトレ(Villers-Cotterêts)の役人の娘に生まれた。パリで、版画家のジュール・ルヴァッソール(Jules Gabriel Levasseur)と画家のシャルル・シャプランに学んだ[4]。1867年からパリのサロンに出展を初め、1898年まで毎年出展を続けた。
教会の装飾画も描き、フランス中部オルレアンのサン・クロワ大聖堂(Cathédrale Sainte-Croix d'Orléans)に所蔵されている、17世紀の画家、ウスタシュ・ル・シュウール(1616-1655)の絵画をもとに描いた、『エフェソスで説教する聖パウロ(La Prédication de saint Paul à Ephèse)』のような作品もある。
1871年9月に役人のフルベール・アントナン・ドラピエ (Fulbert Antonin Drapier; 1835-1891) と結婚し、この結婚により1875年に息子が生まれた[5]。
肖像画や風俗画を描き、書籍の挿絵も制作した。
1905年にイギリスで出版されたウォルター・ショー・スパロー(Walter Shaw Sparrow: 1862–1940)の「Women Painters of the World」は1905年までの200人の女性画家と300点を超える女性画家の作品を掲載しているが、マリー・ニコラの1882年の作品、「リカール神父(Father Ricard)」が収録されている[6]。