マルクス・アントニウス・プリムス
From Wikipedia, the free encyclopedia
出自と家族
ローマ内戦以前
ネロの治世の間ローマに居住しており、元老院議員となるが、詐欺を働き追放されローマから放逐させられる。その後ガルバによって復権、パンノニアの第7軍団の指揮官となる。
ローマ内戦
68年からの内戦でプリムスはウェスパシアヌスの最大の支持者となる。イタリアに進軍し、69年の10月にベドリアクムの戦いでアウルス・ウィテッリウスの軍を打ち破り、同日クレモナを焼き討ちする。その後、アペニン山脈を横切りローマへ軍を進め、抵抗を受けたものの市内への侵入に成功する。この攻撃でウィテッリウスは殺され、実質上プリムスはローマの支配者となった。元老院はコンスルの官職を与えようとするが、ローマ市内は混乱した。数日後にガイウス・リキニウス・ムキアヌスがローマに進軍し、市内の混乱を鎮めた。プリムスはムキアヌスに服従を強いられるだけでなく、不名誉な扱いを受けてローマを去る事となる。
内戦以後
その後の消息ははっきりしないが、時代が下ってマルティアリスが自らの作品で彼の名を言及している事から、ドミティアヌス(在位81年-96年)の時代までは生存していたものと思われる[1]。
