マルグリット・ド・ヴァロワ
From Wikipedia, the free encyclopedia
生い立ち
政略結婚とサン・バルテルミの虐殺
何不自由なく成長したマルグリットには、大勢の男性が求婚をした。彼女が結婚したいと願ったのは、ギーズ公アンリであった。しかし、彼女の望みは母カトリーヌ・ド・メディシスによって打ち砕かれる。母は、激化するカトリックとユグノーの宗教対立を解消するため、ユグノーの指導者であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレに、ジャンヌの息子アンリ・ド・ブルボンとマルグリットの縁談を持ちかけた。
当初、カトリック教徒と息子との結婚に反対していたジャンヌ・ダルブレも、カトリーヌの宗教対立解消という考えに同調し、縁談はまとまった。しかしジャンヌは婚礼の直前、1572年6月9日に急死する。一説にはカトリーヌ・ド・メディシスによる毒殺ともささやかれる不審な死であったが、婚礼は予定通り同年8月18日にパリで行われた[1]。
しかし婚礼の5日後の8月24日、サン・バルテルミの虐殺が発生する。マルグリットとナバラ国王となったアンリ(母の死後に王位を継承)の婚礼のためにパリに集まっていた大勢のユグノー教徒たちは次々に惨殺され、アンリ自身も幽閉されることとなった。1576年、幽閉の身であったナバラ国王アンリがパリの宮廷から脱走すると、マルグリットは兄のアンリ3世の許に残された。
その後、マルグリットはナバラ国王アンリの許に送り届けられたが、それぞれが公然と幾多の愛人を抱え、夫婦仲は冷え切っていた。マルグリットは病に伏した後、1582年に再びパリの宮廷に戻ったが、兄アンリ3世と仲違いをして宮廷を去った[2]。
離婚と晩年
1589年にアンリ3世が暗殺された後、ナバラ国王アンリはアンリ4世としてフランス王位に就いた。マルグリットとの間に子供はなく、仲も疎遠になっていて、1599年に2人は正式に離婚した。その後アンリ4世は、マルグリットの母方の遠縁であるメディチ家のマリー・ド・メディシスと再婚した。
マルグリットは離婚後も、アンリ4世やその一家との関係は、友人として良好だったという。特にアンリ4世とマリー妃との子であるルイ13世を可愛がり、館と領地を遺贈した。
私生活
日本語文献
マルグリット・ド・ヴァロワを主人公とした作品
- 王妃マルゴ - アレクサンドル・デュマ・ペールの小説[4]。下記で映画化。
- バルテルミーの大虐殺(1954年、フランス) - ジャンヌ・モロー主演
- 王妃マルゴ(1994年、フランス) - イザベル・アジャーニ主演
- マルゴ 〜王妃にして王女〜 - 2004年荻田浩一作、演出により舞台化。沢樹くるみ主演。
- 王妃マルゴ - 萩尾望都の漫画。集英社
- ユグノー教徒 - ジャコモ・マイアベーアによるオペラ