ミサ曲第3番 (シューベルト)
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シューベルトは本作をミサ曲第2番完成から数か月経った1815年11月11日に書き始めている[2][3]。いかなる演奏機会を見込んで作曲されたのかは分かっていないが、初演のソプラノを担当したのはテレーゼ・グロープであっただろうと考えられている[4]。これは本作がリヒテンタール教区教会のために書かれたということを意味しており、シューベルトは深い恋心を抱いていたグロープと共に過ごす時間を作ろうともしていたのではないかと思われる[3]。
本作の規模の大きな管弦楽編成と拡張された管弦楽による間奏はハイドン風であると呼ばれており[2]、とりわけハイドンの『ネルソン・ミサ』が強い影響を与えた作品として引き合いに出されてきた[5]。モーツァルトやバッハへの言及もなされている。
初演の状況についてはよくわかっていないが、このミサ曲はウィーン外部でよく知られていた。シューベルトが兄のフェルディナントから受け取った1824年10月6日の手紙では、彼がハインブルクにおいてあるミサ曲の演奏のためにオルガンを弾いてほしいと頼まれたと語られている。そのミサ曲は招待客が素性を知らない有名な作曲家の作品だった。受け取ってみて、フェルディナントはこれが自分の弟の楽曲であると気づいたのであった[2][4]。
