ミッキー・ディー
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| ミッキー・ディー Mikkey Dee | |
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スコーピオンズ - フランス・クリソン公演(2022年) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Micael Kiriakos Delaoglou |
| 生誕 | 1963年10月31日(62歳) |
| 出身地 |
ヴェストラ・イェータランド県イェーテボリ[1] |
| ジャンル |
ヘヴィメタル ハードロック |
| 職業 | ミュージシャン、ドラマー |
| 担当楽器 | ドラムス、アコースティック・ギター |
| 活動期間 | 1985年 - 現在 |
| 共同作業者 |
モーターヘッド キング・ダイアモンド ドン・ドッケン WWIII スコーピオンズ |
| 公式サイト | imotorhead.com |
ミッキー・ディー(Mikkey Dee、1963年10月31日 - )は、スウェーデン出身のロックミュージシャン、ドラマー。
主にHR/HMの分野で活動し、特に英ロックバンド「モーターヘッド」で長らく活躍した。ほか「キング・ダイアモンド」「スコーピオンズ」などに在籍している。
キング・ダイアモンド(1985年 – 1989年)
スウェーデン南部のイエテボリにて、ギリシャ人の父親とスウェーデン人の母親との間に生まれる。イアン・ペイス、ブライアン・ダウニー、ニール・パート、スティーヴ・スミスらの影響を受け、バディ・リッチを尊敬する[2]。1973年には、ゲイシャという、スウェーデンのローカルバンドでドラマーとしてのキャリアをスタートさせる。

1985年、デンマークの首都コペンハーゲンに移住。同国の元マーシフル・フェイトの中心人物、キング・ダイアモンドが結成した冠名のバンド「キング・ダイアモンド」に参加。シングル「ノー・プレゼンツ・フォー・ザ・クリスマス」(1985)、アルバム『フェイタル・ポートレイト』(1986) でデビュー。
続く『アビゲイル』(1987)、『ゼム』(1988) の成功でブレイクするが、所詮ダイアモンドのバッキング・メンバーに過ぎない立ち位置に満足できず、4作目『コンスピラシー』(1989) の制作開始直前に脱退(結局『コンスピラシー』のレコーディングには一部の曲でセッション・ドラマーとして参加した)。
ドン・ドッケン(1990年)
1990年に、ドン・ドッケンのソロ・アルバム『アップ・フロム・ジ・アッシェズ』のレコーディングに参加。収録曲 "Stay" と "Mirror Mirror" のPVはMTVの「ヘッドバンガーズ・ボール」でヘヴィー・ローテーションとなる。バンドはジューダス・プリーストのオープニング・アクトや、自らがヘッドライナーを務めるツアーを敢行した。ディーは同時期にWWIIIでも活動。
モーターヘッド(1992年 - 2015年)

1992年、レミーの要請を受け[3]、フィルシー・テイラーの後任としてモーターヘッドに加入。8月30日、サラトガ・スプリングズのサラトガ・パフォーミング・アーツ・センターで、モーターヘッドのメンバーとしての初ステージを踏んだ[4]。しかし、同年リリースされたアルバム『マーチ・オア・ダイ』はトミー・アルドリッジがドラムスを担当してレコーディングはほとんど済んでおり[5]、ディーの参加は「ヘルレイザー」と「ヘル・オン・アース」(本作には未収録、後に映画ヘルレイザー3のサウンドトラックに収録)の2曲のレコーディングに止まった(レコーディングされた曲の大半はアルドリッジのプレイであったが、アルバム・スリーブにはディーの写真が使われた[6]。)。
1993年、ディーが初めてフルに参加したアルバム『バスターズ』がリリース。
以降、モーターヘッドの屋台骨を支え続けた。レミー、フィル・キャンベルと組んだトリオは、バンドの歴史の中で最も長期間にわたって活動しており、ディー自身も歴代のドラマーの中で最も長くプレイしている。2015年12月、モーターヘッドの中心人物であるレミー・キルミスターが死去、その後ディーは公式にバンドの終了を宣言している[7]。
スコーピオンズ(2016年 - )

2016年5月、病気療養中のジェイムス・コタックに代わって「スコーピオンズ」の全米ツアーに参加。9月に正式メンバーとして加入する事が発表された[8]。10月にはスコーピオンズの一員として来日、LOUD PARK 2016のヘッドライナー出演も含め、3公演を行った。作品では、2017年リリースのベスト・アルバムから参加している[9]。