ミッキー・ベイ
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アマチュア時代
2001年、全米選手権にバンタム級(54kg)で出場するが2回戦でジェイソン・リーツォーに敗退した[1]。
2002年6月、全米選手権にフェザー級(57kg)で出場するが準決勝で敗退した[2]。同年、ナショナル・ゴールデン・グローブにフェザー級(57kg)で出場し優勝を果たす[3]。
2003年3月、全米選手権にバンタム級(54kg)で出場するが決勝で敗退した[4]。同年、ナショナル・ゴールデン・グローブにフェザー級(57kg)で出場し、準々決勝でブランドン・リオスに勝利したが決勝で敗退した[5]。
2004年2月、アテネオリンピック国内最終選考会でフェザー級(57kg)で出場しブランドン・リオスを破るが[6]、オリンピック最終予選で1回戦敗退しオリンピック出場は出来なかった[7]。
プロ時代
2005年4月29日、クリーブランドのウォルステインセンターでデビュー戦を行い、初回47秒KO勝ちを収めデビュー戦を勝利で飾った。
2011年2月19日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターでホセ・エルナンデスと対戦し、8回0-1(2者が76-76、74-78)の判定で引き分けた。
2013年2月2日、ザ・コスモポリタン・オブ・ラスベガスでロバート・ロドリゲスと対戦し、3回1分17秒TKO勝ちを収めるも、ドーピング検査でベイから30対1の高濃度の禁止薬物テストステロンが検出された。このため試合を管轄したネバダ州アスレチック・コミッションからファイトマネーとして獲得した8000ドルのうち1000ドルの罰金と3ヵ月の出場停止処分を受け、試合結果もベイのTKO勝ちから無効試合に変更となった[8]。
2013年7月19日、ハードロック・ホテル・アンド・カジノで出場停止処分明けの復帰戦としてジョン・モリーナ・ジュニアと対戦するも、プロ初黒星となる10回2分1秒TKO負けを喫した。
2014年9月13日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでIBF世界ライト級王者ミゲル・バスケスとIBF世界同級タイトルマッチを行い、番狂わせとなる12回2-1(115-113、119-109、113-115)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した[9][10]。
2015年4月3日、IBF世界ライト級1位のデニス・シャフィコフと同年4月30日に対戦することが一度決定するが、ベイが20万ドルのファイトマネーに不満を示し試合を拒否したため、IBFが入札を同年4月14日に開催することを決定し[11]、同年4月14日に入札が開催されトップランク社が78,000ドルで落札。ファイトマネーの分配は王者のベイが58,500ドル、挑戦者のシャフィコフが19,500ドルとなった[12]。しかし、同年6月26日にベイは同日付で王座を返上したため[13][14]、同年7月18日にザ・ベネチアン・マカオ内にあるコタイ・アリーナで行われる予定だったシャフィコフとの試合は中止となった。
2016年6月3日、フロリダ州ハリウッドのセミノール・ハードロック・ホテル・アンド・カジノ内ハード・ロック・ライブでIBF世界ライト級王者のランセス・バルテレミーとIBF世界同級タイトルマッチを行うも、12回1-2(111-117、117-110、111-116)の判定負けを喫し王座返り咲きに失敗した[15][16]。
2019年12月14日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでジョージ・カンボソス・ジュニアと対戦し、判定負けを喫した。
2022年8月12日、アリゾナ州のフィンドレー・トヨタ・センターで行われる興行のメインイベントでテヴィン・ファーマーとの対戦が組まれ、興行が始まり前座の試合が開始されていた中、ベイはファーマーと共にファイトマネーの未払いを理由に試合出場をキャンセルした[17]。