ジョン・モリーナ・ジュニア
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2006年3月31日、モリーナ・ジュニアはプロデビューを果たし2回1分35秒KO勝ちを収め白星でデビューを飾った。
その後は無敗をキープし、2009年11月28日にマーティン・ホノリオとNABF北米・NABO北米ライト級王座決定戦を行うも、12回0-3(92-98×2、91-99)の判定負けでキャリア初黒星が付き両王座獲得に失敗した。
2010年7月9日、ロードアイランド州でNABO北米ライト級王者のヘンリー・ランディーとNABO北米同級タイトルマッチを行い、11回2分18秒逆転TKO勝ちで王座獲得に成功した。
2011年5月28日、アリゾナ州でロベルト・フランケルとWBC全米ライト級王座決定戦を行い、3回1分45秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。
2012年9月8日、オークランドのオラクル・アリーナでWBC世界ライト級王者のアントニオ・デマルコとWBC世界同級タイトルマッチを行い、打ち合いに持ち込もうとしたがデマルコの左フックをもらい失速。最後は連打の雨を浴びてレフェリーがストップ。ライト級世界戦最短KOとなる初回44秒KO負けで王座獲得に失敗した。
2013年1月11日、ダニー・ウィリアムスとNABO北米ライト級王座決定戦を行い、4回2分16秒KO勝ちで王座返り咲きを果たした。
2013年6月7日、アンドレイ・クリモブと対戦し、10回0-2(93-97、94-96、95-95)の判定負け。
2013年7月19日、ハードロック・ホテル・アンド・カジノでミッキー・ベイと対戦し、10回2分1秒TKO勝ちを収めた。
2014年4月26日、スタブハブ・センター・テニスコートでキース・サーマン対フリオ・ディアスの前座で元WBC世界スーパーライト級暫定王者ルーカス・マティセーとWBCアメリカ大陸同級王座決定戦を行い、試合前は圧倒的不利の予想が占めていたが、2回に先制ダウンを奪い、5回にもダウンを追加し左目を有効撃でカットするなど番狂わせを期待させたものの、そこから挽回され8回にダウンを奪われると、10回にもダウンを追加されて最後は11回に連打を浴びてレフェリーがストップ。11回22秒KO負けで王座獲得に失敗した[1]。
2014年9月13日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでフロイド・メイウェザー・ジュニア対マルコス・マイダナ第2戦の前座でウンベルト・ソトと対戦し、ラウンド終了のゴング後にパンチを出し合う加撃が何度もあり、加えてローブローが両者に多発、ローブローの減点が両者合わせて4度となる非常に荒れたものとなった。 4回にモリーナのローブローでソトが悶絶してダウンし減点はなかったがソトに休憩が与えられる。6回と7回にローブローでモリーナにそれぞれ減点1。8回にソトのローブローでモリーナがダウンしてモリーナに休憩が与えられる。9回にソトのローブローがありモリーナは体を屈折させ苦悶の表情でアピールをするがレフェリーはローブローとは認めずそのまま試合を続行させる。最終回に再びローブローでソトに減点1。試合結果は10回0-3の判定で敗北を喫した[2]。
2015年3月7日、MGMグランド・ガーデン・アリーナにてロバート・ゲレーロ対キース・サーマンの前座でエイドリアン・ブローナーと対戦するも、12回0-3(109-120が2者、110-120)の判定負けを喫した[3]。さらにモリーナは試合後の薬物検査で、禁止薬物であるフロセミド(利尿薬)の陽性反応が検出された[4]。同年8月にネバダ州コミッションの公聴会でモリーナは「見に覚えが無いが、摂取したサプリメントにフロセミドが含まれていたのかもしれない」と弁明、この試合で受け取ったファイトマネー45万ドルの20%にあたる9万ドルの罰金と出場停止処分7ヶ月が科せられた[5]。
2016年6月11日、ニューヨーク州ヴェローナのターニング・ストーン・リゾート&カジノで元WBO世界スーパーライト級王者のルスラン・プロボドニコフとWBOインターナショナル同級王座決定戦を行い、12回3-0(116-112、117-111、115-113)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した[6]。
2016年12月10日、ネブラスカ州オマハのセンチュリーリンク・センター・オマハでWBC・WBO世界スーパーライト級統一王者のテレンス・クロフォードとWBC・WBO世界同級タイトルマッチを行う予定だったが、前日計量でモリーナにスーパーライト級の規定体重である140ポンド(63.50kg)を3.4ポンド(1.54kg)の体重超過があり計量失格となり王座獲得の資格を剥奪された為、133.9ポンド(63.45kg)を計測し前日計量をクリアしたクロフォードが勝てば王座防衛となるがモリーナが勝っても王座獲得とはならない条件で試合は行われ、8回2分32秒TKO負けを喫した[7][8]。