ミック・フリートウッド
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ミック・フリートウッド(Mick Fleetwood、1947年6月24日 - )は、イギリス、コーンウォール、レッドルース生まれのミュージシャンである。ブルース/ロック・バンドであるフリートウッド・マックのドラマーとして広く知られている。彼の名は、ジョン・マクヴィーの名と共に最初、ピーター・グリーンが率いたフリートウッド・マックの名前のインスピレーションとなった。
| ミック・フリートウッド Mick Fleetwood | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 出生名 | Michael John Kells Fleetwood |
| 生誕 | 1947年6月24日(79歳) |
| 出身地 |
|
| ジャンル |
ブルース ブルースロック ロック |
| 職業 | ミュージシャン |
| 担当楽器 | ドラムス、パーカッション |
| 活動期間 | 1964年 - 現在 |
| レーベル |
リプリーズ RCA サンクチュアリ |
| 共同作業者 |
フリートウッド・マック ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ Mick Fleetwood's Zoo The Zoo Mick Fleetwood's Island Rumours Band |
| 公式サイト | http://www.mickfleetwood.com |
彼はフリートウッド・マックのめまぐるしく変わるラインナップの中で、結成当時から在籍するメンバーである。そしてドラマーとしての役割に加えて、フリートウッド・マックを作り替える手助けをした。1974年、彼はリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスと会い、フリートウッド・マックに招き入れた。この二人がもたらした商業上の成功が賞賛されがちだが、フリートウッド・マックの息の長さ、長く続く世界的な成功には「バンドと一緒にやっていく」というフリートウッドの決意が不可欠だった。
197cmもの高身長でも有名である。
経歴
生い立ち
ミック・フリートウッドはマイケルとブリジット・モーリーンのフリートウッド夫妻の間に1947年に生まれた。彼の姉、スーザン・フリートウッドは女優である。
子供の頃、彼と家族はイギリス空軍の父に付き添ってエジプトへ行った。6年後、一家は父が配属されたノルウェーへ移動した。彼はそこで学校に通い、流暢なノルウェー語を習得した[1]。
伝記によると[1]、通っていたイギリスのボーディングスクールにおいて非常につらい時間を過ごしたという。それはグロスタシャー、シャーボーン・パークにあったキング・スクールを含む。彼は試験において物事を覚える能力に欠けていたために点数が悪かった。
音楽キャリア
1963年、彼は学校を15歳で退学してしまい、ロンドンに移動してドラマーとしてのキャリアへと進もうとした[1]。キーボード奏者のピーター・バーデンスに招かれて、バーデンㇲのバンドであるThe Cheynes[2]で最初のギグの機会を与えられた。こうして若いドラマーの音楽キャリアの種がまかれた。彼はThe Cheynesからボ・ストリート・ランナーズ、ピーター・B's[3]、ショットガン・エクスプレス[注釈 1]、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズへと渡り歩いた。
ギグ中に繰り返された酩酊のためにブルースブレイカーズを追い出され、数ヶ月後に歌手でギタリストのピーター・グリーンにグリーンが新しく結成したフリートウッド・マックにベーシストのジョン・マクヴィーと共に参加するように頼まれて加入した。グリーン在籍時のアルバム『ミスター・ワンダフル』(1968年)のジャケットに写る半裸の男性、『英吉利の薔薇』(1968年)のジャケットに写る女装した男性は彼である。
フリートウッド・マックは度重なるメンバーチェンジに見舞われるが、フリートウッドは残ってバンドを支え続け、1970年代後半にこれまでに数百万枚を越える売り上げを誇る有名なアルバムを生み出すことになった。『ファンタスティック・マック』と『噂』である。
彼はいくつかのサイド・プロジェクトを率いていた。1981年の『The Visitor』ではピーター・グリーンと行った「ガラガラヘビ」の再録音を収録している。1983年に彼はMick Fleetwood's Zooを結成し『I'm Not Me』を録音した。アルバムはマイナーヒットとなった「I Want You Back」とザ・ビーチ・ボーイズのカバー、「エンジェル・カム・ホーム」を収録している。グループは後にベッカ・ブラムレットをボーカルに据えて1991年に『Shaking the Cage』を録音している。直近のソロ・ワークは『サムシング・ビッグ』(2004年)である。
副業としてテレビ・映画の俳優がある。基本的には一部のパートで出演する。彼が演じた役には『バトルランナー』でのレジスタンスのリーダーや『新スタートレック』のエピソード、『魅せられて』での宇宙人などがある。1989年には『ブリット・アワード』の司会をサマンサ・フォックスと共同で行ったのだが、様々な失敗を犯してしまった。この影響で『ブリット・アワード』は2007年までの18年間は録音放送になった。現在では再びイギリス国内にライブ中継されている。
1991年、回顧録『Fleetwood: My Life and Adventures with Fleetwood Mac』を出版した。特にフリートウッド・マックについて書かれたものであり、エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンのメンバーなど他のミュージシャンとの様々な経験やニックスとのロマンスなども取り上げられている。さらに彼は自分のコカイン依存症やドラマーとして数百万ドル・ポンド稼いだ後の自己破産についても述べている[1]。
1979年、数回のライブ中に繰り返し出た低血糖症の症状に苦しんだ末に糖尿病であると診断された[4]。
1970年代中盤からアメリカに住み続けて[1]、2006年11月22日、カリフォルニア州ロサンゼルスでアメリカの市民権を得た。
ドラム
ドラムス
- Zildjian 15" K Mastersound ハイハット
- Zildjian 20" A Custom Flat Top ライド
- Zildjian 22" A Custom ライド
- Zildjian 17" A Custom クラッシュ
- Zildjian 17" A Custom クラッシュ
- Zildjian 22" K ライド
- Zildjian 22" K Constantinople Medium ライド
- Zildjian 18" FX Oriental チャイナ Trash
ディスコグラフィ
フリートウッド・マック
| 年 | アルバム | アメリカ | イギリス | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1968 | ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック | 198 | 4 | - |
| 1968 | ミスター・ワンダフル | - | 10 | フリートウッドはカバーアートを担当 |
| 1969 | ゼン・プレイ・オン | 192 | 6 | フリートウッドは「マッジのために戦って」を制作 |
| 1970 | キルン・ハウス | 69 | 39 | フリートウッドは「ステイション・マン」を共同制作 |
| 1971 | フューチャー・ゲーム | 91 | - | - |
| 1972 | 枯れ木 | 70 | - | - |
| 1973 | ペンギン | 49 | - | - |
| 1973 | 神秘の扉 | 68 | - | - |
| 1974 | クリスタルの謎 | 34 | - | フリートウッドはカバーアートを担当 |
| 1975 | ファンタスティック・マック | 1 | 23 | - |
| 1977 | 噂 | 1 | 1 | 「ザ・チェイン」のドラムパートを作成 |
| 1979 | 牙 (タスク) | 4 | 1 | - |
| 1980 | フリートウッド・マック・ライヴ | 14 | 31 | - |
| 1982 | ミラージュ | 1 | 5 | - |
| 1987 | タンゴ・イン・ザ・ナイト | 7 | 1 | - |
| 1988 | グレイテスト・ヒッツ | 14 | 3 | - |
| 1990 | ビハインド・ザ・マスク | 18 | 1 | - |
| 1995 | タイム | - | 47 | 「ディーズ・ストレンジ・タイムス」を共同制作 |
| 1997 | ザ・ダンス | 1 | 15 | - |
| 2003 | セイ・ユー・ウィル | 3 | 6 | - |
ソロ・アルバム
著書
- Fleetwood, Mick; Davis, Stephen (1990). Fleetwood: My Life and Adventures with Fleetwood Mac. William Morrow and Company, Inc.. ISBN 978-0688066475