ミラッツォの戦い (1718年)
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| ミラッツォの戦い | |
|---|---|
| 戦争:四国同盟戦争 | |
| 年月日:1718年10月15日 | |
| 場所:シチリア王国、ミラッツォ | |
| 結果:スペインの勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 戦力 | |
| 6,000[1] | 9,300[1] |
| 損害 | |
| 死傷者1,500 捕虜300[1] |
死傷者1,500 捕虜200[1] |
ミラッツォの戦い(ミラッツォのたたかい、イタリア語: Battaglia di Milazzo)は、四国同盟戦争中の1718年10月15日、シチリア王国のミラッツォ近くで戦われた、オーストリア軍とスペイン軍の間の戦闘。
スペイン継承戦争でイタリア領を失ったスペイン王フェリペ5世はそれを奪回すべく、1717年8月にオーストリア領のサルデーニャ王国に侵攻、1718年7月にはサヴォイア公の領地となったシチリア王国に侵攻した。
彼はフランス王ルイ14世の死後、フランス王国で権力の真空が発生したことと、オーストリアが墺土戦争で手いっぱいだったことを利用した。しかし、1718年7月21日にパッサロヴィッツ条約で墺土戦争が終結、8月2日には反スペインの四カ国同盟がオーストリア、グレートブリテン王国、ネーデルラント連邦共和国、フランスの間で成立した。
8月11日、パッサロ岬の海戦でサー・ジョージ・ビング率いるイギリス艦隊が宣戦布告せずにスペイン艦隊に攻撃、壊滅させた。10月13日、このイギリス艦隊はナポリにおいてオーストリアからの副王ヴィリッヒ・フィリップ・ロレンツ・フォン・ダウンが編成したオーストリア軍を載せてミラッツォ近くで上陸させ、スペイン軍による包囲を解こうとした。これにより10月15日に戦闘が生起した。
戦闘
オーストリア軍は朝早くに攻撃し、スペイン軍は不意を突かれた。スペインの2個竜騎兵連隊(バタヴィアとルシタニア)はオーストリア軍の攻撃を止め、残りのスペイン軍に戦闘を準備する時間を稼いだ。両連隊は殲滅されたが、彼らの犠牲でレーデ侯爵は反撃に移った。オーストリア軍は押し返され、スペイン軍は逃走するオーストリア軍を追撃して、その多くを殺傷した。