ムハンマド・シンワル
パレスティナの軍事指導者 (1975-2025)
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経歴
ハマース軍事部門での出世とテロへの関与
ムハンマド・シンワルは1975年にガザ地区のハーンユーニスにある難民キャンプにて生まれた。兄はハマースの最高幹部を務めたヤヒヤ・シンワルで、兄のヤヒヤと同様に、ムハンマドも1980年代後半にムスリム同胞団のパレスチナ支部として設立されたハマースに加わり、カッサーム旅団として知られるハマースの軍事部門に所属した[5]。
シンワルは、2006年に発生したイスラエル兵ギルアド・シャリート拉致事件の計画者の一人とされる。ハマースの人質になったシャリートは2011年に、イスラエルの刑務所に収監されていたパレスチナ人受刑者・拘束者1,027人と引き換えに人質から解放された。釈放されたパレスチナ人受刑者の中には、イスラエル民間人を含む多数の死者を出した自爆攻撃などで有罪判決を受けた者や、ハマース軍事部門創設関係者といった凶悪犯が含まれており、最初に釈放された450人のうち280人が終身刑で服役していた者だった。その中には兄ヤヒヤ・シンワル、36回の終身刑を受けていたワリード・アナジャス、4件の殺人で服役していたイブラーヒーム・シャマスィーナも含まれている[6][7][8]。
2023年10月7日に起きたハマースによるイスラエル南部への侵入攻撃があったが、ムハンマド・シンワルはこのテロ攻撃の最終決定を下した5人のハマス幹部の一人であり(他の4人は、ヤヒヤ・シンワル、ムハンマド・デイフ、ラウヒー・ムシュタハー、アイマン・ノーファルで、いずれもイスラエル軍に排除される末路を迎えており、ムハンマドは5人の中では最後の生き残りだった)、計画立案と実行両方に関与した最高幹部の一人であると報じられている[9][2]。
ハマース軍事部門のトップに
2024年7月13日のハマースの軍事部門イッズッディーン・アル=カッサーム旅団の総司令官だったムハンマド・デイフがイスラエル軍に排除されると、代わって旅団の指揮権を引き継いだ[10]。
さらに、同年10月に兄ヤヒヤ・シンワルもイスラエル軍によって排除されると、その弟のムハンマド・シンワルは、ハマース最高幹部層に昇格した[11]。
最期
2025年5月13日、イスラエル軍は、イスラエル総保安庁との共同作戦で、ハーンユーニスにあるヨーロッパ病院の地下にあるハマースの司令部の要員に対し、精密攻撃を実施したと発表した[12]。ただし、この時点ではイスラエル軍はまだムハンマド・シンワル死亡の発表は行っていない[12]。
5月18日にイスラエルのイスラエル・カッツ国防相は、国会外交防衛委員会の席上で、13日の司令部攻撃でムハンマド・シンワルが死亡した兆候が強まっているという表現で、死亡の可能性に触れた[13]。
5月28日にネタニヤフ首相が国会での演説でムハンマド・シンワルは排除されたと断言調で発表した[14][15][16]。
5月31日にイスラエル軍が、13日の欧州病院地下ハマース地下司令部への攻撃映像を公開し、同攻撃でシンワルとラファ旅団司令官ムハンマド・シャバナを排除したと発表した。イスラエル軍によれば、この地下司令部は病院敷地の地下に広範かつ複雑に設置されたもので、、ハマース戦闘司令部として使用されていたという。攻撃は、イスラエル空軍機が精密誘導弾を同時に投下する形で行われ、民間人が巻き込まれる危険を低減するため、精密誘導弾使用、空中から監視、追加の情報収集などが用いられたという。イスラエル軍は、攻撃によって病院の機能は損なわれなかったとしている[4][3]。
同年6月8日、イスラエル軍は、ハーンユーニスの欧州病院地下トンネル内で発見されたムハンマド・シンワルの遺体について、身元確認を完了したと発表した[1]。シンワルの遺体は身元確認のため、前日の6月7日にイスラエル軍によって同トンネルからイスラエルに搬出されていた[17][18][19][1]。
ハマース側は、ムハンマド・シンワルの生死を長く明らかにしていなかったが、同年8月30日に至って、ムハンマド・シンワルの死亡の事実を認めたが、死亡の詳細は明らかにしなかった[11]。
同年10月、ハマースは停戦合意履行の条件として、ヤヒヤ・シンワルとムハンマド・シンワルの遺体返還を要求したが、両名の遺体については、ハマースが拘束しているイスラエル人人質・遺体と、イスラエル当局が拘束しているハマース構成員などパレスチナ人治安囚・遺体の交換合意の対象には含まれなかったと報じられている[20][21]。