メッセンジャーを撃つ
悪い知らせの伝達者を責める比喩表現
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
近代的な電気通信が普及する以前、情報は人間の使節・使者によって届けられることが多かった[5]。外交史・国際法の解説では、外交使節に対する「身体の不可侵」は古くから見られる慣行として論じられてきた[6]。一方で、文学作品や史料には、望ましくない知らせを伝える者が嫌悪されたり、攻撃の対象になったりする場面が繰り返し描かれている。
古代ギリシア演劇では、ソポクレスの悲劇『アンティゴネー』に「悪い知らせを運ぶ使者を誰も愛さない」といった趣旨の一節がある[7]。またエウリピデスの『バッコスの信女』では、キタイロンから来た使者が、テーバイ王ペンテウスに不都合な報告をする前に、自由に話す許しを求める場面がある[8]。
プルタルコス『対比列伝』には、ルクルス来襲を告げた最初の使者がティグラネスの怒りを買って処刑され、以後だれも続報を持ち込めなくなったため、権力者が追従的な言葉だけを聞き続けて情勢を把握できなくなった、という趣旨の叙述がある[9]。
シェイクスピア作品『ヘンリー四世 第2部』(1598年)では、望ましくない知らせの「最初の伝達者」が損な役回りになり得ることが述べられ[10]、『アントニーとクレオパトラ』では、クレオパトラがアントニウスの再婚を知らされて使者に怒りを向け、使者が「私はその縁組をしたわけではない」と答える場面がある[11]。
この表現は、統治者の名において公的な布告を行う官職であるタウン・クライヤー(街頭の触れ役)とも結び付けて説明されることがある[12][13]。触れ役は布告の内容にかかわらず告知を担ったため、危害を加えることが反逆と見なされたとする説明がある[12]。
現代での用法
現代では、悪い知らせや問題点など不都合な情報を伝えたり指摘したりした人物・組織が、内容ではなく「伝えたこと」を理由に非難される状況を指して「メッセンジャーを撃つ」と表現する[2][1]。定型句として命令形の「Don't shoot the messenger(伝言者を撃つな)」があり、悪い知らせの伝達者に怒りを向けないよう求める言い回しとして用いられる[3][1]。
報道をめぐっては、支持する主義・人物・組織などに不利なニュースが出た際に、出来事そのものではなく報道機関(メディア)が非難の対象となる反応を、本表現の現代的な例として挙げる説明がある[3]。また、ポピュリストの責任帰属を扱う研究でも「Shoot the messenger?」の語を掲げ、責任転嫁の文脈でメディアがどのように扱われ得るかを論じている[14]。
社会心理学の実験研究では、抽選など偶然によって決まった悪い知らせを伝えただけの伝達者であっても、受け手から否定的に評価され、好意的評価が低下し得ることが示されている[15]。著者らは、受け手が否定的出来事の理由や意味づけを試みる過程で、伝達者に主体性や動機(意図)を見いだしやすくなることが、伝達者への否定的評価と関連すると説明している[15]。
欧州議会の調査報告書は、内部告発者が報復や迫害を受ける問題を述べる中で、企業や政府機関が不正を指摘した者を攻撃する「shoot the messenger」的な態度(「shoot the messenger mentality」)に言及している[16]。ウィキリークスによる内部告発への反応をめぐっても、「メッセンジャーを撃つな」という趣旨の呼びかけが見られた[17]。
影響・関連研究
悪い知らせの伝達をめぐる実験研究では、悪い知らせは良い知らせよりも伝達がためらわれやすく、伝えられる場合も不完全・消極的(自発性が低い形)になりやすいことが示されている[18]。
伝達者を排除することは短期的には戦術となり得る一方、否定的情報が共有されにくい状況では人々が否定的フィードバックを控えるようになり、結果として権力者(比喩的に「皇帝」)が自己欺瞞を深めるといった問題が指摘されている[19]。バーバラ・エーレンライクは『スマイル・オア・ダイ』で、「ポジティブ思考」によって「ネガティブな人々」を排除しようとする文化が、2000年代の「バブル」的熱狂(bubble-itis)に結び付いた側面を指摘している[20]。
